研究活動

 

   研 究 会:ミッシオ・デイ


 呼びかけ趣旨

 かつて東京神学大学で、熊澤義宣教授は「ミッシオ・デイ(神の宣教)」について講義され、真の宣教とは、人間の種々な思いにはるかに先立って進まれる神ご自身のイニシアティヴによる宣教としてしかあり得ない、ということを説かれたのでした。それをうけて言えば、私たちは今日、このような危機的状況にある世界の中で、ミッシオ・デイはどこへ向かっているのかを真剣に問わねばならないと思います。

 現在の世界における最も緊急の課題の一つは、パレスティナ問題およびそれに発するイスラム・テロリズムの問題であることから、この問題にこそミッシオ・デイが見い出されるのではないかと考えています。もとよりこれはあまりにも巨大な課題ですが、まずは無理なく出来ることから始めるべきでしよう。つまり、孤児を支援する里親運動や、難民の生活改善のため日本人からの援助を増やしてゆく努力、在日のイスラエル人とパレスティナ人の対話を仲介する試み、これらのためのNGOの立ち上げ等、最初は小さくとも確実に育っていくような運動を始めるべきではないかと思います。

 それと同時に、ミッシオ・デイは、私たちそれぞれの信仰にもとづいた歩み、各自のこれまでの種々の企図や模索や試行それ自体の中にも見出されるべきものではないかと思います。したがって、「ミッシオ・デイの会」は、まず各自の現在の最も関心事、現在中心的にやっている作業について報告し、それにもとづいて問題提起をすることから始めたいと思います。そしてそれと平行して、先に述べたパレスティナ和平のために何をなすべきかという問題についても、すこしずつ準備してゆけばと思います。

 2002年12月12日
                           金井新二 (東京大学名誉教授)


 今後の方向性について

◇ 「ミッシオ デイ」の会は、社会のあらゆる事象を捉えるイエス・キリストの伝道に基づくものである。「デイ(=Deus)」すなわち「神」の「ミッシオ(=missio)」は、あえて、教え(ディダケイ)を述べ伝えるニュアンスの「宣教」を用いることを避け、日本的にも全人格的な表現としての生き方を指す、人生を歩む意味での「道」を用いる。

◇ 「ミッシオ デイ」は、イエス・キリストの「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:16)に由来する。このギリシア語でいう「ホドス(道)」は、既にそこに道があるのではなく、むしろ、何もないところを切り開いてこそ道になることを意味する。したがって、イエスご自身が道を切り開いたことを意味するだけでなく、わたしたちも道を切り拓いてゆくべきことを表している。

◇ 「ミッシオ デイ」は、弟子たちによって述べ伝えられた宣教のイエス(ケリュグマ)に先立って、イエスの出来事、神のご意志があることを強調する。伝道は人間の業ではなく神の業だからである。人間はその神の業に召されて預かるのである。神への参与なくして人間 への伝道がないことを確認する。

◇ 「ミッシオ デイ」は、社会の中での自己の相対的位置と主体的責任を明確にすることである。神との出会いなくして伝道はありえない。世界との出会い、「対話」の中にこそ伝道が生まれる。
 
 2003年1月20日   
                              富澤孝之 (日本基督教団牧師)
 

オリエンス宗教研究所内にて、月一回ほどの例会を行っております。
ご興味のある方は、ご連絡をいただければ幸いです。


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