『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2014年12月25日  主の降誕(日中)    (白) 紫

2014年11月30日
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た(ヨハネ1・14より)


主の降誕
 ハイリッヒ2世朗読福音書
 ミュンヘン バイエルン州立図書館
 1007年頃


 中世の写本画における降誕図は、定型要素は受け継がれるが、各要素の表現の仕方、また構成の仕方が微妙に変遷し、さまざまな傾向を示していく。この写本画でも、幼子イエス、ヨセフ、マリア、天使たち、幼子を覗き込むろばと牛、ベツレヘムにちなんで描かれている城壁に囲まれた町、飼い葉桶を置く小屋(馬小屋と一般に言われる)にあたる建物(ろばと牛が顔を覗かせている図)などがその定型要素である。
 その上で、この降誕図の特徴といえるものを探っていくとまず一つに、画面のほぼ中央やや上の寝床の中で、イエスが幼子というより少年のように描かれている。11世紀前半の写本画によく見られるもので、神の子であるイエスを強調する手法の一つである。神の子と訳されるギリシア語のフュイウス・セウー、ラテン語のフィリウス・デイも直訳すれば神の息子、男の子であるので、自然な想像力の働きなのかもしれない。しかし、初期においては布にくるまれた小さな子として描かれてきた伝統があり、またイコンにおいて、中世後期以降の西方の絵においても聖母に抱かれる幼子の姿でイエスがイメージされることも多いので、このような少年イエスを降誕図の中で見ると違和感を感じる向きもあろう。しかし、ここでは「神の子イエス」というキリスト理解を優先した神学的な描き方であるということを理解しておきたい。
 また、マリアの描き方も趣がある。初期の降誕図では、産後の疲れのうちに寝床に文字通り横たわっているマリアを描く伝統があった。この絵の場合、スペース構成の意味もあるかもしれないが、寝床が立てかけられたような形に配置され、マリアの姿もちょうど(向かって)左側のヨセフと対照をなすように、縦の姿で描かれている。同時期の絵には、右側に立っているマリアを描く図も登場する。それにも近く、マリアとヨセフの均衡を明確に、イエスを中心的存在として強調していく傾向がこの絵にもほのみえる。そのマリアとヨセフの表情の対比もここでは面白い。マリアの顔は喜びや信頼に満ちて、イエスを見て、その右手で「この人を見てください」というように示しているようでもある。ヨセフは、多少驚きや畏れを示している。神の子の誕生の神秘に反応しているようである。両手を開いて上げているところにもそのような畏怖と驚嘆がさりげなくこめられている。こうして描かれるマリアとヨセフはあたかも門のようになって、イエスを示し、そこに我々を招き入れようとしているかのようである。しかも、イエスの寝床の下に一人の天使が姿を現している。降誕の神秘へといざなうようである。
 イエスのいる場は、誕生の小屋の面影はなく、すでに立派な宮殿の中にしつらえられた寝床のよう。神の子の尊厳を示すものだろう。左上の建物は、ベツレヘムというより神の国の始まりの象徴である。
 イザヤ1章3節の「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」という言葉の影響下で、降誕図の定型要素となったろばと牛(主を知る者の象徴)は、この絵でも、非常に目立つ位置に描かれ、イエスを神の子とあかしする存在として強調されている。
 このようにして、この降誕図は、神の子の誕生、きょうの福音朗読(ヨハネ1・1−18=長い場合)からいえば、「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1・14)という神秘を描き出そうとしている。その「言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(1・4)とヨハネ福音書は述べる。この光の意味合いが、ここでは色で示されていることは言うまでもない。下から二番目の層、マリアやヨセフの背景をなす色、イエスの寝床が置かれている金色がそうである。神の子が世を照らす光を宿し、発し始めている。そして、イエスの寝床や下の地をなすところの緑色は生命の象徴である。イエスが宿ったところの「肉」=現世のいのちあるものすべてを象徴しているとともに、すでに神の光に照らされて新しい生命力を与えられた命を意味するものとも考えられる。そして、上から二番目の色の層(ろばと牛が顔を覗かせる建物の背景)は鮮やかな青。もちろん、神の霊、聖霊の象徴である。こうして、神の霊、神のいのち、神の光の描写が、イエスがどのような存在であるかをあかししているのである。

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