『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2014年12月25日  主の降誕(夜半)    (白) 紫

2014年12月25日(夜半)
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった (福音朗読主題句)


羊飼いたちの礼拝
  エル・グレコ画
  油絵 マドリード プラド美術館 1612−14年


  サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ教会の大祭壇画に描かれていたものという最晩年の作品。大変有名な近世期の画家の絵であるが、古代、中世の降誕をめぐる絵画伝統と比べて、どのようにその個性を見ることができるかという問いかけをもって、鑑賞を試みてみたい。
 ルネサンスからの近代絵画のもつ立体的な表現は、中世の写本画やステンドグラスと異なるもっとも大きな特色であり、人物の描き方も写実的な特性を帯びてくる。特に光の描写が、そのような空間の奥行き、人間の身体性・肉体性の強調になっていく。聖書の出来事が、だんだんと現代でいえは劇的、映画的な想像力で表現されてくるのである。
 この場全体、福音書の叙述では、ベツレヘムの宿屋、その客室ではなく、家畜小屋(馬屋とは書かれていない。一般にそういわれるが)で出産したということにある(ルカ2・7参照)。あとの叙述からそれは夜であることが暗示されている。絵は暗い室内。前の二人の男(向かって左、幼子の近くにはヨセフ、右側は羊飼いだろう)の間に大きな角をもった牛が描かれている。伝統的な降誕図ではずっと、飼い葉桶の幼子を覗き込む牛とろばを描く慣例があったが、ここでは、その伝統も引きつつ、実際に家畜小屋であることを暗示する要素としても描かれているように見える。それがなければ、ここは、室内というより、暗闇の目立つ、洞窟のようにも想像してしまうところである。たしかに、イコンの伝統には洞窟での誕生を描く伝統もあるので、そのニュアンスを継いでいる面もあるのかもしれない。しかし、際立つのは、幼子の姿から発っされる白い光との対照による、周りの暗闇である。イザヤの預言「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ9・1)の意味合いのほうが色濃く反映されていることであろう。この闇の中に、光である神の御子が誕生し、その光に人々が照らし出されている。その出来事のもつ劇的な感動が見事に描かれている。ヨセフがどちらかというと驚きを示すのに対して、マリアは冷静にこの出来事を受け止め、幼子を見つめ、保護するように手を差し出している。上方には天使たち。一天使が掲げている帯の文字は一部から暗示されるが、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)が書かれている。まさに、天の大軍が神を賛美して歌う賛歌である(同2・13参照)。
 幼子について福音書では、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(同2・12)とされるが、ここでは、裸の赤ん坊の姿として描かれる。これは、中世末期の降誕図の一つの伝統となるものだが、人間としての肉体性を明らかにすることで、神の子が人になったこと、人間としての条件の中に入ったことを表現する一つの方法ともいえる。しかし、その体は白い、神の栄光の光そのものの源となっている。
 布ではなく、光にくるまって寝ている乳飲み子こそ、神であり、人である救い主である。その誕生への驚きと喜び、この光をこの日のミサで我々も分かち合うことにしよう。

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