『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年1月4日  主の公現  (白) 紫

2015年1月4日
主の栄光はあなたの上に輝く (第一朗読主題句 イザヤ60・1より)


三王礼拝
  詩編書挿絵
  スイス エンゲルベルク修道院図書館  1335年頃


 主の公現。この公現の原語は「現れ」を意味するギリシア語エピファネイア、ラテン語エピファニアであるが、出来事としては、きょうの福音朗読が語る、東方から来た占星術の学者たちが幼子イエスを礼拝するという出来事(マタイ2・1−11)を記念し、異邦人をも含むすべての人への救いの訪れを喜び祝う日という意味で「公現」と訳されるのが伝統である。
 第一朗読のイザヤ書の言葉「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(イザヤ60・3)は、預言においては未来における救いへの待望ないし確約の言葉であったが、今や救い主イエスをあかしする言葉となっている。
 その学者たちはいつしか異邦人の王たちと考えられるようになり、また三つの贈り物(黄金・乳香・没薬)の数から彼らは3人と考えられるようになり、以来、キリスト教美術では「三王礼拝」が一般的な画題となる。そのような伝統の中にある14世紀の写本画である。
 一見して目を引くのは、人物たちの描き方の素朴な可愛らしさであろう。まず王たちが三人と考えられるようになったとき、それぞれが、老年、壮年、青年の各世代を表す慣例も生じた。確かにここでも、前にひざまずいてイエスに贈り物を差し上げている者は白髪であることから老人(拝礼のため王冠もとっているのだろう)、その後ろに立って、導きの星(マタイ2 ・2, 9参照)を指さしているのが壮年、そして、右端が青年である。異邦人の王たちという意味で、すべての民に救いが現れたことを祝うのが公現の一つの意味であるとすると、ここは、すべての年代の人間にとって救いがもたらされたことを考える意味があるともいえる。
 マリアとイエスを見ると、マリアの姿も王冠によって神の母としての尊厳が示されているようであるが、その姿は、非常に庶民的にも見える。座らしいものも簡素に示されているだけである。そしてイエス。ひざの上に立っている。顔も幼子にしてもしっかりと凛々しい顔だちを示し、十分に王子ないし小さな王の威厳を感じさせながら、老人の差し出す贈り物を受け取ろうとしている。
 三人の王の動きもそれぞれに異なり、生き生きとしたリズムを感じさせる。救いの訪れを知った喜びの感覚である。マリアのひざの上に立っているイエスも、その肩をマリアの手が軽く支えるという仕方で、人間的な動作の瞬間が活写されている。公現としての三王礼拝を描く写本画に含まれる要素を受け継ぎながら、イメージにおいてだんだんと人間的な情感、劇的な感覚が込められつつあることが感じられる。
 この絵をよく見ていると、青、赤、白といって配色で浮き上がる人物たちの姿とは別に、圧倒的に強く塗り込められている金色が目に焼きつくほどではないだろうか。「(学者たちが)東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(マタイ2・ 9)という記述は福音書にはあるが、この文脈で栄光という言葉は出てこない。もちろん、彼らがひれ伏して拝んだというところに、幼子における神の栄光の充満が前提とされているので、この絵も、そのことを思いながら、濃密な金色を背景(および人物たちの冠や光輪)に与えているのだろう。この想像力は、まさしく、きょうの第一朗読と一致しているのである。イザヤの預言とともに、三王礼拝の出来事が主の公現の神秘として受け取られて、記念されてきたことを伝える絵である。

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