『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年1月11日  主の洗礼 B年 (白) 紫

2014年1月11日
あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者 (マルコ1・11より)


イエスの洗礼
  パレスチナで作られた聖遺物箱の蓋絵
  バチカン博物館 6世紀半ば


 6世紀にパレスティナで作られたというほかに詳細はわかっていない。木製遺物箱の蓋の裏側に書かれたもの。遺物箱自体は、縦24cm、横18cm、高さ4cm、5点の絵があり、中段は横長で十字架につけられたキリストを描くもの。上の二段には、左側にイエスの復活(空の墓の場面)、右側にイエスの昇天が描かれ、下段は左側にイエスの誕生の図、右側にこのイエスの洗礼の図が描かれている。
 洗礼の図は、金色(茶褐色)の地に紺色の描線を基本に、光輪を赤い線で表現するという簡素な配色のものであるが、その要素や構成の仕方は、後のイコンにおけるキリストの生涯図の基本型があるといわれる。 洗礼の場面の左側は、身をかがめて洗礼を行う洗礼者ヨハネと、彼の手が頭の上に置かれたイエスである。イエスの顔を見ると十分に大人であり、しかも髭を生やしているように見える。それにもかかわらず、身の丈は低い。一見子どもかと思ってしまうような描き方だが、このアンバランスな描写は、神の子が神の子でありつつ、へりくだり、人間となられたことを強調している。逆にいうと、ここで小さく描かれている人間としのイエスが、神の子であり、救い主であるという秘められた尊厳を有している方であることは、(向かって)右側で、イエスが新たに着ることになる尊い衣を二天使が抱えて用意して待っていることによっても表されている。
 さて、ヨルダン川に頭以外の全身までを浸すほどにへりくだられたイエスは、きょうの福音朗読マルコ1章10−11節によると「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」とされる。 この天が裂ける、聖霊が鳩のように降るということは、文字通り、イエスの頭の上の垂直軸のとこに描かれている。洗礼者ヨハネの手を置き、おそらく水をイエスの頭から注ぎかけている動作が、神からの霊の注ぎと重なっていることは、この洗礼の出来事の本質を聖書からよく読み取っていることが示される。
 イエス自身が受けた水の洗礼の出来事は、聖霊の注ぎを意味するものである。キリスト者にとって、キリストによる洗礼が父と子と聖霊の名によるものであり、聖霊のいのちに入ることを意味するようになる。その根源の出来事が注意深く絵においても描かれているといえるだろう。
 先達である洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、自らの活動を始めていったイエスの、いわば、へりくだりともいえる態度を、この絵は、神の子が人間となったことというイエスのあり方の根源にある「へりくだり」としてとらえているかもしれないといったが、そうであれば、天からの声「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」は、そのイエスが神の子として、神に受け入れられていることのあかしでもある。このような絵の構図に含まれる、イエスのあり方の独特なダイナミズムは、まさに受難の主日と聖金曜日に歌われるフィリピ書(2・7-9)の内容にも合致する。典礼聖歌(317)の歌詞で引けば、「キリストは人間の姿で現れ、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、自分を低くして従う者となった。それゆえ神はキリストを高く上げて、すべてにまさる名をお与えになった」。
 このことを考えると、主の洗礼の出来事はそれについての福音書の叙述そのものも含めて、すでにイエスの全生涯、その受難と復活の前もって表すしるし的な出来事としても位置づけられていると見ることができる。主の洗礼を描く絵は、はっきりそのことを意識しているのだろう。我々の黙想にも深いヒントになる。

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