『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年1月25日  年間第3主日 B年 (緑) 緑

2015年1月25日
わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう (マルコ1・17より)



シモン(ペトロ)とアンデレの召命
  ドゥッチオ画
  ワシントン ナショナル・ギャラリー 14世紀初め


 イタリア、シエナ派の代表的な画家ドゥッチオ(1255/60 −1318頃)が1308年から1311年までに制作したシエナ大聖堂の主祭壇画『マエスタ』の絵の一つである(昨年12月29日聖家族の表紙解説参照)。きょうの絵は裏面の下段に描かれている「主の生涯」図の一つ。
 裏面全体は四段に分かれ、主要部の中央二段(全26場面)はエルサレム入城から十字架に至るまでの出来事、上段は復活後の出来事(全8場面)、下段は主の洗礼からラザロの復活までの公生活の中の9場面を描く(ちなみに下段の絵のほとんどが散逸し、アメリカやイギリスの美術館所蔵となっている)。裏面の絵が全体としてキリストの受難を中心にしていることは明らかで、中世後期のキリストに対する関心の傾向を示している。
 この最初の弟子たちの召命の光景は、一見幻想的である。一切、背景の景色など詳細な要素は描かれていない。イエスと弟子となる男たちとの向かい合っているその関係のみに鑑賞者の目は集中させられる。そこに広がる輝かしい金色の地が豊かである。イエスと弟子たちとの心の呼応と交わりが雄弁に表現されていて、味わいが尽きない。
 イエスのいる川岸は、切り立った崖のように描かれる。イエスの身体はその輪郭線のうちに収まっているが、頭と手だけが、そこを出て、シモン・ペトロとアンデレのほうに向かっている。イエスの外衣の黒といい、この不思議な岩場の空間といい、それは、明らかにシモンとアンデレのいる空間とは構造が異なっている。異次元、もちろん、神の深淵にいるイエスのあり方がこれらをもって表現されているのではないかと思われる。神の次元からの招きと呼び出しがイエスの頭・顔そして右手のしぐさで十二分に示される。「わたしについて来なさい」(1・17)と。
 シモンは体の向きも顔も手も、イエスの招きにしっかりと応じている。このような全面的な向かい合いが絵画的に表現されることも、ある意味で珍しく、感動的である。アンデレはなお網を持ち、仕事をしながら、半身、後ろに振り返る姿で描かれている。これは、二人が「湖で網を打っているのを御覧になった」(マルコ1・16)イエスの眼差しに映った光景を描き出しているように思う。網を打つ弟子たちがイエスの「ついて来なさい」に答えて、「二人はすぐに網を捨てて従った」(18節)のであるから、ここは、シモンとアンデレに差はない。あくまで、仕事をしていた弟子たちが召命を受けてそれに従う者となったという出来事の経過についての意識がこのような表現にさせているのだろう。
 舟の形も興味深い。岸に近いほうは、イエスの立つ岸にくっつきそうでくっついていない。このわずかな隔たりは、しかし神の次元と人間の次元の間の深淵を思わされる。舟の反対側の先は(絵の向かって)右側でいわば反り返っている。そうして、我々の視線を再び、ペトロとイエスが向かい合い、見つめ合っているこの絵の核心的なところへともう一度引き戻すのである。このように舟の上部の枠の線は、このイエスによる弟子たちの召命という出来事のもつ深みと重要性を指し示す働きをしているのである。
 舟が浮かぶ湖面の緑は深い。ゆらゆらと波打っているようにも見える。緑色が生命を想像させる。「人間をとる漁師にしよう」というイエスの"粋な"招きがもつ無限の可能性をここに味わうことができる。
 イエスと弟子たちとのつながり、交わりをとおして、やがて、神の栄光に輝く天と命の湖が深く結ばれていくことになる、その黎明の図ともいえる。

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