『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年2月18日  灰の水曜日 (紫) 紫

2015年2月18日
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい (マタイ6・6より)


神のおきてを授けるイエス
  プロブスの石棺彫刻(部分)
  バチカン博物館 4世紀末


 初期のキリスト像で、羊飼いと並んで、ひんぱんに登場するのが、新しいおきてを授与するキリストの像である。特に石棺彫刻ではこのタイプがさまざまに登場する。その描写もローマ社会の指導者層の姿を彷彿とさせる。ここではそのようなイエスが権威ある壮年像としてではなく、青年として描かれているところが特徴である。壮年の弟子たちに対して、ひときわ若いイメージだが、彼らよりは一段高い壇に立っていることによって、その尊厳、ひいては神性が強調されている。王笏にあたるものが十字架でかたどられていることで、十字架による罪と死への勝利、万物を治める主として高められたことも併せて表現されている。
 左手にもつ巻物は、イエスが与える教え、法、おきてを象徴する。自らの生涯をもって神と人類を結び新しい契約となられたこと、それに基づく愛のおきて、教えのすべてである。向かって左側で手を合わせて、イエスからその権威を受け入れて仰ぎ、おきてを受け止めている弟子はペトロと考えられる。もちろん、キリスト信者の代表としての姿である。
 このキリスト像を見ていくと、キリスト教の宣教展開の中で、「ロゴス」(言葉・理法)を重視するギリシア哲学の精神や「法」を重視するローマ社会の伝統が共鳴し合い、互いに関連づけられて、西洋キリスト教文明を形成していく流れを脈々と感じることができる。
 そのような古代文明を背景にしつつ思い描かれる、イエス・キリストの独特な教えの声を聞き続けなくてはならない。それらを伝えてくれるのが福音書である。各福音書には、さまざまな伝承や編集の経過が含まれているにせよ、イエス自身の声がなんらかの形で保たれていることは明らかである。それは、この灰の水曜日の福音朗読箇所であるマタイ6章の説教にも色濃く反映している。律法学者やファリサイ派の態度を批判する言葉が耳に強く響くが、その中心には、父である神に近づく道が示されている。「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(マタイ6・6)。イエス自らが身をもって示され神のことば、愛のおきては、我々にとって変わることのない、神への道しるべである。イエスのことば自体も、神への道を開く力強い招きである。
 きょうの詠唱がそのことへの気づきと呼びかけを含んでいる。「神に心を閉じてはならない。きょうこそ、神のことばを聞こう」(典礼聖歌261B、詩編95・8ab参照)……四旬節をとおしてこの呼びかけが続く。

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