『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年3月1日  四旬節第2主日 B年 (紫) 緑

2015年3月1日
イエスの姿が彼らの目の前で変わり……(マルコ9・2より)


イエスの変容
  手彩色紙版画
  アルベルト・カルペンティール(ドミニコ会 日本)


 共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)のどれもが記すイエスの変容の出来事。この出来事もよく描かれてきた。山の上に登られたイエスの姿を中央に、その両側にエリヤとモーセを、下のほうに三人の弟子(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を描く構図がほとんどである。表紙絵に掲げたカルペンティール師の作品は、変容の図の伝統とは大きく異なった構図で描かれている。この特色に注目しながら、福音朗読箇所を読み直しみよう。絵では、イエスは中央ではなく、(向かって)右側を上から下までを占めるほどに大きく描かれている。左上のほうからは、神の右手が大きく伸びている。この神の右手は、目に見えない神の働きかけを示す、古くからの表現要素である。ちょうど福音朗読箇所の中の「すると、雲が現れて、彼らを覆い、雲の中から声がした。……」(マルコ9・7)にあたる。「これはわたしの愛する子。これに聞け」という神のことばが響きわたっている空間がここに描かれている。イエスの服は「真っ白に輝き」(9・3)とあるが、ここでは、白ではなく、金色と紫色の二つの色が配色されている。主としての栄光の輝き(金色)と尊厳(紫色)を意味する色なので、白く変わったことの意味をさらに解釈した配色と考えることができる。
 イエスの前にいる5人の男のうち、中央に並ぶ二人は、奥がエリヤで、手前に本を開いているのがモーセであろう。その本にはローマ数字で1から10(T〜X)と書かれているので、十戒を刻んだ本であることがわかるからである。モーセの開く本が十戒、ひいては、旧約の律法を象徴しているとすれば、それに対置されているイエスは、「これに聞け」と神のことばが響くように、自身が新しい法、新しいおきてであり、究極的には神のみことばそのものであるという意味もこめられている。ちなみに、伝統的な変容の図では、エリヤがモーセがイエスの両脇に描かれているが、福音書には「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」(9・4)とあるだけで両脇に立ったとは書いていない。あくまでも絵画伝統の中だけのことなのである。その意味では、カルペンティール師はイメージにおける固定観念を打破してくれている。
 左下のほうに3人の弟子たちの顔が並ぶ、先頭(一番下)にあって、右手をイエスに向けているのは、ペトロと考えられる。先頭に立つ者が下に位置するように描かれていることに何かの意味があるであろうか。変容の出来事を叙述する9章の直前の8章で、ペトロは「あなたは、メシアです」(8・29)と告白した一方、受難予告をするイエスをいさめた際には、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(8・33)と叱られている。受難予告とともに弟子たちの生き方や意識に対する教えが強まっていくという流れがよく感じられるところである。変容の出来事の直後にも、いちばん偉い者はだれか議論している弟子たちに、イエスは「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(9・35)と諭す。このような前後の教えの意味合いも、ペトロをいちばん下に描くこの絵に反映されているように思われる。
 さて、四旬節第二主日に読まれるイエスの変容の出来事は含蓄するところが非常に多い。B年の今年の第1朗読、第2朗読の箇所はその一つのアプローチを示してくれる。一人息子を神にささげるアブラハムの行為を思い出させて、神の召命にこたえて生きることのうちに必然的に全き奉献というテーマが浮き彫りになる第1朗読、御子を惜しまずに死に渡された神への全き信頼を呼びかける第2朗読の使徒の手紙……この背景のもとに、変容の箇所を読むとき、ひときわ「これはわたしの愛する子。これに聞け」という神のことばが強く大きく響いてくる。絵の左上の神の右手、右側のイエスの姿を浮かび上がらせる強い描線がこれに対応している。四旬節をとおして呼びかけられるメッセージをしっかりと受けとめたい。

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