『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年3月22日  四旬節第5主日 B年 (紫) 緑

2015年3月22日
一粒の麦が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ(福音朗読主題句 ヨハネ12・24より)


十字架のキリスト
  象牙彫
  スペイン マドリード国立考古学博物館 12世紀


 12世紀のスペインで造られた象牙彫の十字架像である。まず、十字架の上でしっかりと開かれているイエスの目が印象づけられないであろうか。やや下を向いていることで、死に向かう様が描かれているかもしれないが、なお強い視線を放っている。十字架の上で生きているイエスの姿を描く初期の磔刑図以来の伝統が残る作例である。イエスの両腕も(右手の先は欠損している)、足もまっすぐに伸び、その体は光を受けて輝いているかのようである。
 他方、この作品は、十字架の板面に精妙な浮き彫りが施されているのが特徴である。細かくて見えにくいかもしれないが、十字架の横木には戦う動物たちが、縦木には無数に人間が描かれている。動物たちの争う図が表現しているは、受難の試練における悪との戦いであるといわれる。イエスの生涯全体をとおして繰り広げられる悪魔(悪霊)との対決が具象化されているのだろう。その生涯の始まりに語られた悪魔の誘惑(マタイ4・1−11、マルコ1・12−13、ルカ4・1−13)が四旬節の第1主日に朗読されたように、我々が過ごしている四旬節そのものの回心や節制のテーマにつながる図であるともいえる。
 縦木の人物群が全人類を表しているとすれば、イエスの足もとには、腰を覆って逃げ去るようなかっこうの人が描かれている。明らかにアダムである。先週の図にも、地の底の自ら姿を現すアダムが描かれていた。この作品では、罪を犯し、自分の罪を自覚したアダムとエバが「いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(創世記3・7)というところから楽園追放(同3・23)のあたりが直接に踏まえられ、アダムだけの図をもって人類の罪を表していると思われる。
 罪と死の定めに服した人類は、十字架におけるイエスの贖いのみ業によって救われる。このことを明確に示すのは、イエスの頭上の部分に描かれている復活の図である。棺の中から十字架の杖をもって自ら立ち現れる勝利の主の姿で描かれている。この時代(12世紀頃)からひんぱんに描かれるようになる復活の図像様式である。こうして、中世初期や後期の様式が交差する中で、神と人類の歴史が凝縮されているのが、この作品である。実に壮大な歴史観、救済史観が込められている。
 きょうの聖書朗読のメッセージをこの作品とともに黙想していくこともできる。
 福音朗読で弟子たちに受難を予告するイエスの言葉は、すべて十字架上の主の言葉として聴くことができる。「人の子が栄光を受ける時が来た」(ヨハネ12・23)。「今こそ、この世が裁かれる時」(同31節)……イエスのその時は十字架においてやって来る。創造から始まる、世の歴史、人類の歴史にとって決定的転換の時として。この作品におけるイエスは、まっすぐに神に従う者としての姿に見える。第2朗読の「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(ヘブライ5・8)と響き合う。イエスは、そのようにして、第一朗読の預言者エレミヤが予告する神と人の新しい契約の仲介者、そのためのいけにえとなられたのである。この十字架のキリストは、救いの歴史の全体、そしてその頂点をともに照らしている。

 このページを印刷する