『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年4月12日 復活節第2主日(神のいつくしみの主日) B年 (白) 緑

2015年4月12日
信じない者ではなく、信じる者になりなさい (ヨハネ20・27より)


不信のトマス 
  モザイク
  サンタポリナーレ・ノオヴォ教会
  6世紀


 復活節第2主日の福音朗読は毎年このヨハネ20章19−31節である。イエスが復活したその日、すなわち週の初めの日の夕方に、復活したイエスが弟子たちの真ん中に来て立ったこと、トマスが疑いを示したこと、そして、その八日の後、つまり次の週の初めの日にまた、イエスが弟子たちの中に現れたこと、そしてトマスとのやりとりがその内容である。
 このうち、「トマスの疑い」(ヨハネ20・24−29)の絵が描かれるようになったのは、5世紀以後のことという。このモザイクはその意味で、この主題の図としては比較的初期のものにあたる。ここでは、イエスの傷を見つめつつ、右手を広げ、表情にも当惑や疑いを示しているような弟子がトマスであると思われる。ヨハネ福音書のエピソード展開では、トマスが余計目立つが、この図ではそれほど目立っているわけではない。イエスの(向かって)すぐ左にいる白髪の男がペトロであろう。彼も目を引くし、またイエスの前に身をかがめている弟子も目立つ(ヨハネであろうか)。それに他の弟子たちもそれぞれに表情が描き分けられていて、生き生きとした群像図となっている。
 何よりも、弟子たちの集いの中心にいる復活したキリストが強調されている。背の高さもそうで、光輪も非常に大きい。高貴な人の着る紫の衣をまとい、主としての威厳をもって描かれている。イエスが弟子たちの真ん中に立って平和のあいさつをし、傷を見せたというヨハネ20章19−23節が念頭に置かれながら、24節以降のトマスの話が重ねられているのだと思われる。
 この箇所は、短いイエスのことばの中で、聖霊の授与(息を吹きかける)とキリスト者としての使命の授与(「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される」)が示されていることで、他の文書で示される聖霊降臨(使徒言行録2・1−11)、弟子たちの派遣(マタイ28・16−20)と対応する点が一つの場面に凝縮されて、神の民の派遣の始まりが記されているといえる。それが、ヨハネ福音書では、さらに「週の初めの日」(ヨハネ20・19)という時の指摘と、弟子たちのいる部屋に「イエスが来て真ん中に立ち」(20・19、26)という記述の繰り返しを伴っている。「週の初めの日」すなわち主日ごとに集う信者共同体での集いの姿が背景にあると鑑賞し、黙想していってよいだろう。日曜日のミサごとにイエスは来て我々の真ん中に立たれるのである。
 そう考えると、トマスとイエスとのやりとりは何を暗示するのであろうか。このエピソードの結びにあたる「見ないのに信じる者は幸いである」というイエスのことばは、イエスと直接出会った弟子以後のすべての世代の信者にとっての祝福の宣言であるともいえる。トマスは、現代の人間がイエス・キリストの生涯を前にぶつかるつまずきや疑問、迷いを体現する先駆者である。このような人間にも、イエスは信じることへの招き手、導き手として現れている。さまざまなつまずきを抱えつつ信仰を求めている人を迎えてくださるイエス・キリストの姿が、主日ミサを通して伝えられることを願いつつ、キリストとの出会いを新たにする復活節としたい。

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