『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年5月17日  主の昇天 B年 (白) 白

2015年5月17日
イエスは彼らが見ているうちに天にあげられた (使徒言行録1・9より)


主の昇天
  ステンドグラス
  フランス ルマン大聖堂 12世紀半ば

 
 「イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた」(使徒言行録1・9−10)。きょうの第一朗読で読まれる昇天の出来事の叙述 がこのステンドグラスの図のもとになっている。「彼ら」すなわち使徒たちは、使徒言行録の叙述の中ではユダがいなくなったあとの11人であるが、ここでは、12人が描かれ、また上段中央にはマリアがいる。使徒言行録のその後の叙述、12節〜14節までの中で、イエスの母マリアもいて使徒たち一同が集まっている光景、また26節でマティアが選ばれて再び使徒が12人となったことまでが含まれて、最初の教会共同体を象徴するものとして描かれていることがわかる。
 すべての人物が精一杯背を伸ばし、天を見上げている姿が強調される。手の動きもそれぞれに異なり、昇天という出来事への畏れや賛嘆・驚嘆の気持ちがよく表現されている。これがゴチック大聖堂の高い窓に形作られた図であることを思うとき、これを見上げる者はだれもがほんとうに天上の主に向かう心地になったことだろう。
 さて、典礼暦は、本来、主の昇天を復活から40日目に祝う。聖霊降臨の主日の10日前の木曜日である。ヨーロッパの国々では文字通り、この日が祝日として休日とされる伝統があるが、日本のようなところでは、これを次の主日(復活節第7主日にあたる日)に移して祝う。昇天を復活祭から40日目に祝い、聖霊降臨を50日目に祝うという構造は、使徒言行録の記述をもとにしているが、それらの箇所は、ミサでは第一朗読で読まれる。福音朗読はABCで異なり、今年のB年はマルコ福音書の16章15−20節が語る、弟子たちの福音宣教への派遣と昇天の箇所である。マルコ福音書では昇天は復活後の出現のすぐ後のことである。
 このような、40日目という使徒言行録の記述にしたがって典礼暦では昇天が祝われるにしても、昇天の意味はこの日にちの設定には限定されない意味をもっていることを考える必要がある。そうしたうえで、使徒言行録の「40日」の意味も一つの説き明かしの形として意味が出てくると思われる。
 もう一つ、ステンドグラスの図とともに昇天の出来事を味わうために「天」のイメージをどう考えるかが問題となる。それはあくまで神話的イメージなのだとして、ここでの事柄をイエスが神の次元に移行されたこととして、抽象的に説き明かすことも意味のないことではない。「天に上っていく」なんて、おとぎ話のようなものだ、としてはねつけてしまうような合理的思考の人にとっては、抽象的概念的説明も必要なのかもしれない。しかし、ではなぜ「天」のイメージが聖書においては天地創造のときからずっと重視されているのか、「天におられるわたしたちの父よ」とキリスト者は祈り続けるのかということが見えてこない。そんなとき、ステンドグラスのこの昇天の図を見て、天に上られるキリスト、神の右の座にあって今、我々のことを見ておられる主キリストのことを身体的な想像力を伴わせながら仰ぐことが重要であろう。聖書の中のさまざまなイメージは典礼祭儀において、また聖堂空間のさまざまなシンボルを通じて息づいている。典礼とその空間・時間は、聖書のイメージを捨象するのではなく、受け継ぎつつ、我々のキリストとの出会い、交わり、神へ向かう心を豊かに養おうとしているのである。
 ちなみに、ステンドグラスの豊かな光彩の中でも青と赤は基調をなす2色であるが、これは、聖霊につながる色であることを併せて考えておきたい。キリストは天に上っていくが、かわりにつねに我々のそばにいる弁護者(助け主)として聖霊を派遣する。すでにマリアも使徒たちも聖霊の息吹、その色合いの中にある。新しい神の民の歩みは天に向かうキリストを仰ぐことで力を蓄えながら始まっていく。

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