『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年5月31日  三位一体の主日 B年 (白) 白

2015年5月31日
すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい(福音朗読主題句 マタイ28・19より)


三位一体
  手彩色紙版画
  アルベルト・カルペンティール(ドミニコ会 日本)

 
 三位一体の主日は主の祭日に数えられるものである。この祭日の趣旨については、『聖書と典礼』の8頁に掲載している叙唱の祈りがよく示している。その中心部分は、「あなたは御ひとり子と聖霊とともに唯一の神、唯一の主。わたしたちは父と子と聖霊の栄光を等しくたたえ、三位一体の神を信じ、礼拝します」という信仰宣言である。集会祈願も、三位一体の神秘を簡潔に祈る。「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました。唯一の神を礼拝するわたしたちが、三位の栄光をたたえることができますように」。
 これらの祈りに示されるように、「三位一体」という、キリスト教の神についての根本的な教えを直接に主題とするのがきょうの三位一体の主日(祭日)である。父がみことばである御子を遣わし、そして聖霊も遣わされている。御子も聖霊もその本質は神であり、神は一つの実体であるが、それ自体、三つの位格(ペルソナ)をもっているということを宣言し、その神に礼拝をささげるというのが趣旨である。キリストの生涯の神秘を一つひとつ主題にする祝日と違って、教理を主題にする祝日に分類されることもある。それでも、典礼暦では四旬節から聖週間、復活節にかけて、キリストの死と復活を頂点とする救いの歴史全体を展望してきたあとに、この歴史を総合的に振り返り、そこに三位一体の神のいのちが生き生きと働かれていることを確かめ、神を賛美するのがきょうの目的である。我々の信仰生活、典礼活動の根底をなすものとして三位一体の神秘を迎えることはその意味で大変な深い意味がある。
 この日のミサの聖書朗読は、救いの歴史において人間に関わってくる三位の神を語る。B年の今年は、旧約朗読 (申命記4・32-34, 39-40) から、天地万物を超えてこれを創造した唯一の神である主についての信仰告白。使徒書朗読 (ローマ 8・14−17) からは、我々が神の子とする霊を受けて、神をアッバ(父)と呼ぶことができているのだという自覚。そして福音書 (マタイ28・16−20) は、「彼ら(すべての民)に父と子と聖霊の名によって洗礼を授け(なさい)」というイエスの洗礼命令を聞く。
 このような確認をしたうえで、カルペンティール師の表紙絵作品を味わってみると、向かって右に御父、左に御子キリストが描かれる。右が御父であることは、左手に抱えている太陽と月が示す。天地の創造主である。左がキリストであることは、右手に十字架の文様が入った丸いものがあることからわかる。これもおそらく宇宙の象徴ではないかと思われる。御子キリストは御父の右に座している。御子といっても、御父と同じような姿で描かれている。父を現された方がまさしくキリストであるということを前提にした描き方だろう。聖霊は、もちろん、鳩の象徴をもって二者の間に降ってくる。鳩の姿を包む光輪と二者の頭の後ろの光輪が互いに三つ重なって光の充満の中に置かれている。ここがまさしく三位一体という概念に対応しているところだろう。御父は右手で永遠の力を放つような姿勢、御子はそれをしっかりと受けとめながら、永遠の語らいを続けているようである。二者が座しているのは、地上の舗道にあるベンチのように見えるところも親しみ深い。たしかに三位一体の神は、遠いところにおられる方ではなく、いつも我々と共にいる方である。きょうの福音「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と呼応している。三位一体の神とは、我々と共にいてくださる神のあり方にほかならない。

 このページを印刷する