『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年6月21日  年間第12主日 B年 (緑) 緑

2015年6月21日
イエスは起き上がって、風を叱り……  (マルコ4・39より)


風を叱り、湖を静めるイエス
  ギリシア語福音書 挿絵  
  パリ国立図書館 14世紀

 
 きょうの福音朗読は、マルコ4章35−41節。イエスと弟子たちが舟でガリラヤ湖に漕ぎ出していくと、激しい突風が起こった。その中でも眠っていたイエスが、弟子に起こされて、「風を叱り、湖に『黙れ、静まれ』と言われた」。すると、風はやみ、すっかり凪になった、というところがエピソードの中心となっている。この場面はしばしば、写本画に描かれ、眠っているイエスを起こそうとしている弟子たちを描くものもある。
 表紙に掲げたのは、むしろ、まさに話の中心「風を叱り、湖に、『黙れ、静まれ』と言われた」(マルコ4・39)に対応する絵である。イエスの厳かな表情、掲げられた右手は、彼の風を叱り、湖に命ずる言葉を表現している。神の権威を示すしぐさである。その姿勢のまっすぐな様子は、荒れた湖面に浮かぶ横長の舟、そこに居並ぶ弟子たちの、全体として横向きの光景に対して、はっきりとそれらを突破するような位置関係にいる。このエピソード、そしてこの絵が示しているのは、自然の猛威に動揺する弟子たちと同じ空間にいながら、別次元にいるイエスを際立たせている。エピソードの中の「眠っておられた」も、すでにそのような別次元の存在であることの暗示がある。
 第1朗読のヨブ記、また答唱詩編(詩編 107・23 +24、28a+29+30、31+32) は、「嵐」に言及される箇所が選ばれつつ、究極には創造主である神の力をテーマとし、その神への信頼をテーマにしている。福音朗読では、イエスがその創造主である神の力を発揮する。「風や湖さえも従わせる」その姿に、弟子たちはさらに驚く。それは、嵐を怖がっているよりもさらに深い「非常なる恐れ」である。これは、イエス自身における神の権威の現れを見たことから来る恐れである。畏怖といってよい。
 福音書では弟子たちがだんだんとイエスにおけるその力を知っていくプロセスが描かれるので、ここではまだ垣間見させられているだけである。しかし、それでもイエスは確かに、創造主である神と同じ権威、力をもつ方であることを示している。この神の創造がキリストにおけるものであるという理解は後に深められていく。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1・1−3)。「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」(コロサイ1・15−16)など、御子における創造という理解は、このエピソードの味わいを深めさせてくれよう。もちろん、この力が完全に明らかにされ、使徒たちのキリスト教としての信仰の出発点となる出来事は、イエスの十字架と復活にある。復活こそが第二の創造であり、第一の創造がこれに向かうものであることを明らかにさせたものである。「万物は御子によって、御子のために造られました」といわれるとおりである。
 この舟にあって風を叱り、湖を静めるイエスの姿は、十字架の苦難を予告している光景ともいえる。弟子たちの姿は、イエスの十字架と復活を体験し、神の救いの計画の実現を知った使徒たちのあり方の予告でもある。そう考えると、この舟は、イエスに率いられ、イエスに従う人々の共同体を象徴しているともいえる。たしかにこの絵の中の舟は、荒れる湖にあって傾いたようには描かれておらず、神の力を現すキリストを中心に、どっしりと安定している。すでに教会の暗示である。弟子たちに「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言ったイエスは、「怖くはない。恐れるな。わたしを信じなさい」と我々に呼びかけているのだろう。

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