『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年7月12日  年間第15主日 B年 (緑) 緑

2015年7月12日
イエスは十二人を遣わすことにされた(福音朗読主題句 マルコ6・7参照)

キリストと十二使徒
  祭壇画
  スペイン バルセロナ カタルーニャ美術館
  12世紀

 きょうの福音朗読箇所(マルコ6・7−11)の冒頭「〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた」にちなんで、十二使徒が主キリストの両脇に描かれた図を掲げてみた。
 荘厳のキリストを中心に、左右に6人ずつ十二使徒がリズミカルに配置されている祭壇装飾の図である。人物の表情が面白く、日本風にいえば、漫画的、ないしは、現代的なデザイン画の雰囲気さえ感じさせる。古典画というよりも、現代作品のように見えてしまうところが興味深い。
 この絵も主キリストと十二使徒の間の調和的な関係がテーマとなっているように思われる。左側の6人の中で、最前列の最もキリストに近いところにいるのが、鍵を持っていることからもわかるようにペトロである。他の使徒たちはだれとは特定できない。使徒たちの描写に共通しているのは、彼らがいずれも(ペトロは鍵とともに)本か巻物を持っていることである。後列の使徒たちについても、それがはっりとわかるように描いていることに工夫がある。本も巻物も、もちろん、使徒たちに託された神の言葉、福音の象徴である。中央のキリスト自身が左手で携えている本がすでに特別な意味で神の言葉……キリストが人となった神の言葉であることを示す象徴である。キリストは右手を掲げている。神の権威を発揮するしぐさであることはいうまでもない。それは、祝福でもあり、使命の委託でもある。
 キリストはすでに栄光の座にいる。神の右の座にある姿である。光背が二重になっているのは、その栄光と威厳を強調するものだろう。光がキリストを姿を包み、満たし、そして、両側の使徒たちの領域をも満たしている。このように見ると、きょうの第二朗読のエフェソ書の内容と響き合ってくる。「時が満ちるに及んで、救いの業(わざ)が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」(エフェソ1・10)。時が満ちて、再び来られる主を、神の民の先頭に立って迎えている使徒たちの姿として、この図を味わうことができるのである。
 きょうの福音朗読箇所は、6章12-13 節で、イエスが弟子たちに託す使命の内容について、悔い改めさせるための宣教と悪霊追放、病人の治癒をあげている。言葉による宣教のほかに、「汚れた霊に対する権能」(6・ 7)を授けられての神的権能の行使(悪霊追放と病者治癒)が語られていることも注目される。この絵における玉座のキリストの左手(神の言葉)と右手(神の権能の行使)が示すものは、十二人の派遣の場面とも対応しているといえるのである。
 このようなイエスと使徒たちとの関係は、もちろん、使徒たちからすべてのキリスト者へと広がる。ミサにおいて、主キリストは現存し、使徒たちも「すべての天使と聖人」として語られる天上の礼拝者の一群にあって、神の民の先頭に立って、祈りのうちに現存し、我々を支えてくれている。そのような歴史的な広がりのある教会の姿を展望することのできる図といえよう。味わいつつ、神の言葉を受けてどのように福音を告げ知らせ、神の力に満たされてどのように行動していったらよいのか、我々自身の召命と使命に思いを向けていきたい。

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