『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年8月15日  聖母の被昇天  (白) 白

2015年8月15日
いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう (ルカ1・48より)

聖母子
  フレスコ画
  フィレンツェの無名画家の作品  14世紀
  
  聖母の被昇天という祭日の表紙には、これまでもマリアに関するさまざまな絵を掲げている。きょうの絵は、14世紀、一般にジオット派と呼ばれる流れにくみする無名の画家の作品である。幼子を抱く玉座の聖母が、非常に素朴に敬虔に描かれている。
 今回は、聖母の被昇天の祭日というものについて、あらためて確認してみたい(『新カトリック大事典』第4巻などを参照)。まず聖母の被昇天とは、一言でいえばイエスの母マリアが人生を終えてから、魂も体も天に上げられたとするカトリック教会の教理である。聖書には、マリアの人生の終わりについて述べられていないが、古代教会では、信者たちの関心からさまざまな伝説が生まれ、マリアは死後も体が腐敗しなかったとか、体が天に上げられたといわれるようになった。東方教会では、7世紀の初めから、8月15日にマリアが死の眠りについたこと(アナパウシス、コイメーシスという)を記念して祝うようになり、やがて天に上げられたことの祝い日(アナレープシス)と呼ばれるようになった。西方教会でも7世紀末以来、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日(ドルミティオ)が祝われ、8−9世紀から東方と同じように天に上げられたことを祝う日(アスンプシオ)となる。その一方で、西方では中世を通じて神学者たちの間で、マリアの身体的被昇天について異論も生まれ、議論が繰り返されたが、16世紀になると、マリアは魂も体も共に天に上げられたことが一般的に認められるようになる。19世紀から20世紀にかけてマリア崇敬の信心が盛り上がり、いわばその到達点として1950年11月1日、ピウス12世の教皇令によって「マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂ともに天の栄光に上げられたことは、神によって啓示された真理である」と宣言された。きょうの集会祈願の「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアをからだも魂も、ともに天の栄光に上げられました」という部分は、そのような教理理解の表れである。
 現在、聖母の被昇天の聖書朗読は、被昇天を単に生涯の終わってのちの出来事としてだけでなく、マリアの生涯の意味を考えさせるものとして扱っているようである。このことは重要であろう。
 福音朗読は、マリアのエリサベト訪問の場面。エリサベトの祝福の言葉(アヴェマリアの祈りのもととなっていることば)と、それにこたえるマリアの賛歌(教会の祈りの「マリアの歌」)を内容としている。ここでは、マリアが女の中で祝福された方であることについて、それだけが別個の事柄としていわれているのではない。つねに中心には神の御子イエスがいる。マリアの賛歌の内容も、これからイエスの生涯の中で明らかになる、神の救いの計画の実現を前もって告げ知らせ、神を賛美する内容である。イエスなしにマリアはマリアではないことがこれらの箇所からも明らかであり、つねにイエスと結ばれていたその生涯であったことが伝わってくる。その生涯の完成、すなわち神によって全面的に受け入れられ、迎え入れられたことをマリアが天に上げられた、つまり被昇天と考えるのである。
 マリアの存在そのもの、つねに御子イエスとともにあるその姿・あり方は、この聖母子像の中でも、すでに玉座にあるものとして、天に迎えられ、完成されたものとしてイメージされている。マリアは「その信仰と愛においては、教会の典型、もっとも輝かしい模範として敬われる」(『教会憲章』53項)。我々がいつもあやかるべき心の姿として見つめ、味わいたい。

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