『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年8月23日  年間第21主日 B年 (緑) 緑

2015年8月23日
主よ、……あなたは永遠の命の言葉を持っておられます (ヨハネ6・68より)

使徒聖ペトロ
  エル・グレコの油彩画
  スペイン マドリード エル・エスコリアル修道院
  1610〜14年頃
  
 美術史上、著名なエル・グレコ(1541−1614)の描く聖ペトロの図。左手に持つ鍵が彼を象徴している。まず、エル・グレコの人生行程と生きた時代の特有さを思い起こしておきたい。クレタ島出身のギリシア人で、「エル・グレコ」と呼ばれるが本名はドメニコス・テオトコプーロスという。ビザンティン・イコンの精神を受け継ぎつつ、1567年、ヴェネツィアに渡り、ティツィアーノに師事。1570年にローマに移り、マニエリスムという様式を吸収し、それを独創的に展開する役割を担う。1576年ごろ、スペインにわたり、1577年からトレドに定住し、そここを拠点に精力的な創作活動を展開する。彼の描く人物像は、極端に細身で、細長い顔だちをしており、一目でエル・グレコの作とわかる独特な雰囲気と力強さを備え、また大変劇的な緊張に満ちた描き方であることはよく知られている。彼の生きた時代は、トリエント公会議(1545−63)に続く、一般にカトリック改革と呼ばれる時代であるとともに、またスペインでは、カルメル会改革者・跣足カルメル会創立者アビラのテレサ(イエスの聖テレジア、1515-1582)の神秘思想が影響を広めていく時代にあたることも彼の作風を理解する手がかりになるという。
 さて、きょうの福音朗読箇所は年間第17主日からずっと読まれてきたヨハネ6章からの朗読の最後にあたる(ヨハネ6・60−69)。自分のことを天から降ってきた命のパンだとあかしするイエスの話に対して、なんと弟子たの多くの者が「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6・60)とつぶやく。これに対するイエスの言葉は、嘆いているようにも失望しているようにも、また怒っているようにも悟っているようにも響く。そして、ある種、突き放したような言葉(65節参照)を放つと、「弟子たちの多くが離れ去り」(66節)という事態になる。この場合にいわれている弟子たちとは、イエスが特別に選んで自分の近くに連れていた十二人(十二使徒)とは違う、もっと広い意味でイエスに従いかけていた一群の人々であることがわかる。ヨハネ6章でのイエスのあかしは、これらの人々の態度を分けるものとなった。イエスはその十二人に「あなたがたも離れていきたいか」と問うと(67節)、シモン・ペトロがこの章節のクライマックスといえる信仰告白をする。
 「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
  あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(68節)。
 我々の日本のミサで、聖体拝領前の信仰告白に採用されている言葉なので、なじみ深いものを感じる。ただし、前後の文脈からすると、ペトロがいかにも模範回答をもって宣言しているようにも聞こえる。イエスの受難・復活のおりにペトロに訪れた状況と彼の態度、すなわちイエスの受難に際してのペトロの否認(ヨハネ18・15−18、25−27)復活したイエスの現れ(21・1−14)、それに続くペトロとのやりとりの場面(21・15−23)をも想定してみると、ここの信仰告白の意味合いも微妙なものに見えてくる。
 しかし、それらすべてのやりとりを通じても、ペトロは誰よりもイエスの身近にいた、十二人の弟子の筆頭の存在であったことは明らかである。人間として弱さ、弟子としての思慮の不十分さが印象深く記されていく彼の存在であるが、そのように彼を美化しない伝承が重要視されて福音書のもとになっているという初代教会の事情が興味深い。実際、ペトロ自身が伝えてくれた内容も多いことだろう。
 そのペトロが、使徒言行録第2章の聖霊降臨に続く説教の場面では、復活のイエスをあかしする使徒のかしらとしての勇敢なすがたをもって現れる。後に宣教方針におけるパウロとの論争もあったが、それでも、ペトロはローマでの殉教に至るまで、使徒のかしらとして教会の礎として生涯をささげ、そのことのゆえに全教会から尊敬される存在となっていく。福音書や使徒言行録では、つねに使徒団、弟子たちの中の代表として複数の中で言及されていくが、このエル・グレコの肖像画が激しい風の中のような背景の中に単独で立っているイメージは、ペトロという人物への関心を喚起する。ペトロの歩みをもう一度福音書とともにたどってみたい。それは、またイエスに間近から触れていくことにもなるだろう。

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