『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年9月27日  年間第26主日 B年 (緑) 緑

2015年9月27日
「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」(民数記11・29より)

モーセ
  大理石彫刻  ミ ケランジェロ作
  ローマ サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会 1515年頃
  
 きょうの福音朗読と第一朗読が共通に主題としているのは、キリストの名によって悪霊追放や奇跡を行うこと(福音)や主の霊によって預言すること(第一朗読)の客観的正当性といったものではないかと思われる。人間的な意識で、弟子たちとつながっているかどうかでそれらのことを行う人々の正当性を判断するものではない。神のみ心、神の思いこそが何より尊ばれなくてはならないという教えである。
 きょうの福音朗読箇所のイエスの言葉を図像的に関連づけるのは難しいこともあり、表紙絵は、第一朗読との関連でモーセ像とした。有名なミケランジェロ作の作品(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会所蔵)である。ミケランジェロのこの作、元来は、教皇ユリウス2世墓廟に納められるものとして制作された。老いたモーセの怒りと悲しみを表現したものという。この印象が、なぜか、きょうの福音朗読後半のイエスの言葉のもつ厳しさとも響き合うように思われる。
 ところで、モーセの頭には二本の角が描かれている。これは、西方教会の図像伝統に従うものである。このモーセの角は、聖書翻訳史上の有名な誤解に基づいて生まれたものである。すなわち、出エジプト記34章28−30節は、40日40夜、山上にいたモーセが下山して来たとき「顔の肌が光を放っていた」と述べるが、ここで「光」と訳されているヘブライ語ケレンには「角」という意味もあった。そのため、ヒエロニムスのラテン語訳聖書(ウルガタ訳)でははっきりと「角」を意味するラテン語に訳されたのである。それ以来、中世の聖書写本画や聖堂壁画でモーセが描くときには、彼固有の特徴として頭に角を描くことが通例となったのである。このような伝統を受け入れつつも、個性あるモーセ像を提示したミケランジェロの作品には、さまざまな解釈論がある。中でも興味深いのは、その髪や角は「火」、髭は「水」の流れ、体や足はさらに「地・風」を反映しているという。地水火風という四元素論をさまざまな造形のモティーフにしていたとされるミケランジェロは、モーセを何か神格化された存在ではなく、まぎれもなく地上の元素によって造られた地上的存在、人間として表現しようとしたのだという。
 モーセが人間であることは我々ももちろん知る。したがって、そのことを強調的に示すモーセ像は、彼を彼たらしめている神の意志を同時に表現していることになる。モーセの怒り、悲しみとして表現されているのは、神の怒り、悲しみにほかならない。それは、イエス自身が人々とのかかわりの中で、特に弟子たちとのかかわりの中で示していくさまざまな感情や心境にも通じる。そしてモーセやイエスの心の動き、感情の動きのもとになっているものが、我々にも分与されているということを考えなくてはならない。
 神の民すべてを預言者にしようとして注がれる主の霊(聖霊)は、今、我々新約の神の民すべてに働いている。キリストの名に結ばれ、聖霊を受ける入信の秘跡が、まさに神の民の預言職を受けることであるということを、きょうの福音をもとに意識すべきであろう。自分の中で、キリストが、聖霊が働こうとしているその動きに心を向けてみたい。このモーセのような顔や感情を、自分自身の中にも、また共同体の仲間のうちにも見いだされていくのではないだろうか。

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