『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年10月4日  年間第27主日 B年 (緑) 緑

2015年10月4日
 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2・18より)

アダムとエバ
  ブロンズ浮彫
  モンレアーレ大聖堂  12世紀

 きょうの福音書のイエスの言葉「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(マルコ10・7−8)は、第一朗読で読まれる創世記2章18−24節の中の言葉「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(24節)とまっすぐにつながっている。創世記の叙述に含まれている教えを引きつつ、イエス自身が男女のきずなについての決定的な教えを告げる。これが教会の結婚についての教えの核心として受け継がれていることはいうまでもない。イエスが律法を否定せず、それを完成させる方であること、律法の根底にある神のみ旨を明らかにされる方であることが示される重要な箇所である。
 そのような箇所ではあるが、福音書の文脈(マルコ10・2-16)の中で見ると、そのあとに「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)という言葉が続くところから、前段も結婚の意味についての教えも、根本的には、神の意志を素直に受け入れることの一つとして教えているものと受けとめることもできる。
 さて、第一朗読の創世記の箇所(2・18−24)は女の創造に関するものだが、これはもちろん、2章4節bから3章24節までの人(アダム)と女(エバ)に関する叙述全体の中に位置づけて見る必要があろう。この朗読箇所は、ちょうどA年の四旬節第一主日に読まれる箇所( 2・ 7− 9、 3・ 1− 7)の中で、真ん中の略された部分に含まれる箇所である。主なる神は、人(アダム)の創造に続き、助ける者を造ろうとして女を創造するのだが、その直前に「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう(2・17)と命じている。女を造ったあと、(3章に入ると)蛇が女にその木から食べるようそそのかす。このように、女の創造の叙述とそこに含まれる「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という教えは、神の命令とそれに対する背きというテーマと交わるかたちで展開している。二人の結びつきは、神のことばに背く、人類の罪の連帯というテーマと関連し合っているのである。その意味で、「二人は一体である」という教えも、結婚についての教えというのとは別な角度からの重要な暗示も含んでいるように思われる。
 創造された男と女(アダムとエバ)を描く美術作品も、罪に陥った最初の人類である二人の楽園追放というテーマで描かれることが多い。表紙のブロンズ浮彫は、聖堂の入口近くの壁に掲げられたものという。聖堂に集い来る信者たちに回心を呼びかける役割をもったようである。女が胸を、男が腰を手で隠しているところから、創世記3章7節の「二人は目を開け、自分たちが裸であることを知り」という箇所に焦点を当てていると思われる。二人は顔をこちらに向けている。こちら側から語りかけようとしている神に向かっている表情なのだろう。神との対話が展開していく3章8−19節の内容をこの図に重ねながら読んでいくことができる。
 鑑賞として言えば、この図の二人は大変素朴な姿で描かれている。男と女がちょうど対称的に、いわば対等な位置関係に置かれている。男は左手を掲げ、女は右手を下に差し出す。双方のしぐさがあたかも輪になって、図の中心をなしている。それは、二人の関係のそもそもの始まり、第一朗読が述べる「彼に合う助ける者」として女が創造されたことを想起させる。
 いずれにしても、二人が顔をこちらに向けているという図は珍しく、興味深い。神がおられる次元、神が語りかけてくる方向を意識させるからである。それは、もちろん現在の我々をも包んでいる、

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