『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2015年11月8日  年間第32主日 B年 (緑) 緑

2015年11月8日
キリストは、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた(第二朗読主題句 ヘブライ9・28参照)

十字架のキリスト
  『イーヴシャム詩篇』挿絵
  ロンドン 大英博物館 1270年頃

  
  13世紀ゴシック時代のイングランドの画家の作品。全体として人物像に写実的な要素や、場面全体を通しての劇的描写の傾向が高まってくるゴシック期の特徴をもつとともに、さらにイングランド派の特徴として線の動きの激しさといったものが見られるという。写本画における十字架磔刑図の基本要素が踏襲されているが、人の身体や表情、特に衣装の襞が陰影深く、立体的であり、感情の動きまで濃やかに表現されている。そこが、さまざまな想像をいざなう。
 贖いのいけにえとして自らをささげられたイエスのからだは胸や腹がやせほそり、くぼんでいさえする。両手、脇腹の足からの流血も生々しい。イエスの頭も完全に垂れているが、その表情には静かな成就感が感じられる。神のみ旨に従って、奉献をまっとうした姿に見え、厳粛な思いに導かれる。
 右側に立つ使徒ヨハネ(ヨハネ19・26−27参照)は、嘆きに沈んでいる。それに対して、左にいるマリアの顔は、どこか微笑んでいるようである。これは、イエスの十字架での磔刑の死が、ただ嘆かれるべき悲しい出来事ではなく、希望をもたらす喜びの出来事であることの暗示なのではないか。
 マリアの視線は、十字架の下から(実際には、画面の枠外から)イエスを拝んでいる人物と向かい合っているようである。十字架の下というと、東方教会のイコンが、しばしば、ゴルゴタ(「されこうべの場所」)にちなんで頭骸骨を描き、イエスの十字架によって打ち勝たれる「死」を表現する場合がある。それと異なり、ここでは、十字架上のキリストを拝む人が描かれている。十字架のうちにすでに復活のしるしを見ているように思われるのである。
 イエスの上では、太陽と月のしるしが、天使によって抱えられている。これらは終末におけるキリストの来臨に伴われる出来事を暗示する(マルコ13・24−27参照)が、太陽と月のしるしだけでなく、天使が大きく描かれているところに、十字架上のキリストに対する賛美の強調を思わせる。
 もう一つ、重要なこの絵の特徴は、十字架が生き生きとした緑の木として描かれていることである。ここには、まぎれもなくエデンの園の中央にあった「命の木」(創世記2・9参照)を思い起こさせる。十字架による贖いの死、そして復活によって、人類に新しい、永遠の命がもたらされたことの暗示まで含んでいるのである。赤を基調とする背景の上に、この木の緑色が際立ち、強く印象づけられる。その緑は人物や天使たちの衣にも反映しており、すべてが新しい命の息吹に生かされつつあることを思わせる。これらを踏まえて、あらためてマリアの顔を見るとき、その控えめな喜びのうちに限りない深さが感じられてくるのではないだろうか。
 十字架磔刑図は、本来、主の死と復活の神秘の図、主の過越の図であることを、さまざまなところで語っている絵といえるだろう。

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