『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年1月1日  神の母聖マリア  (白) 白

2015年12月27日
神はその御子(みこ)を女から生まれた者としてお遣わしになった (第2朗読主題句 ガラテヤ4・4より)

いつくしみの聖母
  ロシア・イコン ドイツ
  レックリングハウゼン・イコン博物館
  15世紀初め
 
 ロシア語で、「ウミレニエ」と呼ばれるマリアのイコン。ビザンティン・イコンでの「エレウーサ」(いつくしみの聖母)と呼ばれるタイプのものである。そのいちばんの特徴は、マリアが頭を少し傾けて、幼子と頬を合わせているところに感じられる。細かくマリアの姿勢を見てみよう。左手で幼子を抱き寄せ、支えながら肩に乗せているようで、その際、左手は衣服に覆われている。右手は、幼子の姿を「どうぞ、ご覧なさい」というふうに指し示しているようでもあり、その体を支えているようでもある。
 そのマリアの視線はどこに向かっているだろうか。幼子を見るわけでもなく、正面(鑑賞者側)を見るわけでもない。はるか彼方にまで向かっているように見えるのが、このイコンに独特な奥行きを与えている。 幼子自身の姿勢にも特徴がある。その右手は意外なことに、聖母の首をぐるっと回るようにつかまっていて、右手の先が聖母の耳のあたりから突き出している。構図的には妙な位置関係のようである。その人指し指はまっすぐ下を、中指と薬指は曲がって親指と向かい合っている。本来は、相手に向かって祝福を与えるしぐさであり、この幼子はただの子どもではないことに気づかされる。幼子の左手は、聖母の衣服をつかもうとして伸ばされているようだが、それでも握りしめているわけでもない。また人指し指と中指しか見えない。
 このように細かな描写を見ていくと、一見、幼子を抱きかかえる母親の姿、あるいは母親にしがみつく幼子を描いているようでいて、微妙に違っていることがわかる。ここで描かれているのは、神の御子であり、その母は神の子の母、神から特別な使命を受けた方の姿が写し出されているのである。幼子自身の顔がすでに救い主としての尊厳と知恵に満ちている。
 マリアがいつくしみの聖母であるといわれるとき、それは、父である神のいつくしみにふさわしく応える方であることを意味していよう。御子の誕生とともに起こったさまざまな出来事を神のなさることとして、「すべて心に納めて、思い巡らしていた」(きょうの福音朗読箇所のルカ2・19)マリアの姿である。
 ところで、きょう1月1日は、典礼暦では、主の降誕の8日目というところに根本的な意義がある。幼子は、「イエス」と名付けられたところに人間としての生涯の始まりが刻まれている。しかも、その名は天使ガブリエルのお告げのとおり(ルカ1・31参照)の名。神の計画を実現する方として「神は救う」を意味する名として与えられている。神の御子である方が人となり、救い主として現れたことが、降誕の八日目にしてすでに輝かしく明らかにされているのである。そのような意味合いをもって、いつくしみの聖母のイコンを味わいたい。それは、まぎれもなく「キリストの神秘」のイコンである。
 この母も幼子も、御父である神のいつくしみのみ顔である。「いつくしみの特別聖年」の中で迎える、この「神の母聖マリアの祭日」の意味を深く味わっていこう。

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