『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年4月10日  復活節第3主日 C年 (白) 白

2016年4月10日
さあ、来て、朝の食事をしなさい(ヨハネ21・12より)

エグベルト朗読福音書
   ドイツ トリール市立図書館
   980 年頃
 
 きょうの福音の不思議な大漁とよく似た話はルカ5・1−11にもある。C年の年間第5主日(今年2016年は2月7日)に読まれた箇所である。福音書以前の共通の口伝にある大漁の話が、ルカでは弟子たちの召命物語に、ヨハネでは復活したイエスの現れの話に関連づけられたものと考えられる。もちろん、ヨハネのきょうの長い朗読の場合の後半(21・15−18)は、復活したイエスによるペトロに対する召命「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21・17)のエピソードである。不思議な大漁の話が、いずれにしても、広い意味で召命の主題の文脈の中で述べられていることをまず念頭に置いておきたい。
 エグベルト朗読福音書のこの挿絵がヨハネ21章に即したものであることは、舟に乗っている弟子たちの上に、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子らという文字があり、網を引いている男の上にペトロという文字が見えることからわかる。イエスの足元には、炭火を起こしている器と(よく見ると)魚もそこに描かれている。もう一つ、足元にある丸いものはパンであると思われる。以上は、21章9節「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった」に対応している。
 福音書の叙述では、弟子たちが、岸に立っている方が復活したイエスだとわかるかどうかという話題と、魚がとれなかったところに、その方の言葉どおり網を打つと大漁になったという話題が交差して語られている。絵は、具象的表現なので後者の不思議な大漁の様子のみを描いているようであるが、実際にはそれをとおして、前者のテーマ、すなわち、復活したイエスとの出会いが描き出されていると観賞することができる。
 弟子たちを困らせている不漁が、主のことばによって大漁へと転じる。これ自体が、イエスの死から復活への転換を意味するだろう。イエスの足元で準備される朝の食事、魚とパンをもってなされる朝の食事は、復活した主のからだをいただく主の食卓の暗示である。復活は我々の認識や言葉では把握できない神秘であり、そこで息づき始める命は、限りなく豊かなものである。そのような救いの状態を待ち望んでいたとはいえ、その実現に神威を感じている弟子たちの驚き、畏れ、そして喜びが、この絵の中のペトロや弟子たちの顔に表れている。光景全体は、とても明るい。舟の弟子たちのリズミカルな手の動きは、喜びを示している。イエスの祝福のしぐさでもあり、みことばの力を及ぼす動作としての手と彼らの手との呼応がこの絵の核心をなしている。その間に、全身をさらしてしっかりと立つペトロの姿はすでに信仰の確信、召命の受諾の決意に満ちている。彼の引く網にかかっている魚は、後半で言われるところの「わたしの羊」(21・17)と呼ばれる信者の群れを象徴する。ペトロはこの群れを導き始める。夜が明け染め、復活の命が始まり、新しい神の民が生まれる。

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