『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年5月15日  聖霊降臨の主日 C年 (赤) 赤

2016年5月15日
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると
(使徒言行録2・1より)

聖霊降臨
  二枚折り書き板装飾
  ギリシア アトス ヒランダリ修道院 14世紀
 
 アトスのヒランダリ修道院(12世紀末の創建)で造られた二枚折り書き板装飾は、しばしば紹介してきたが、覚えとして歴史的なことを記しておこう。アトスとはギリシア中東部・エーゲ海に突き出た一半島の南にある山だが、この半島全体に散在する修道院群全体を総称するためにもアトスといわれる。8世紀から9世紀にかけてビザンティン帝国で聖画像(イコン)破壊論争が起こったとき、イコンを擁護する修道者たちがここに逃げ込み、修道生活を始めたのがその歴史の始まりである。東方教会の霊性の中心地の一つとなり、現在も自治権をもつ。
 「二枚折り書き板」(ギリシア語で「デュプティコン」)とは、ビザンティン典礼の聖体礼儀(ミサ)において奉納物をささげた人たちの名前を記した二枚折りの板のこと。その表紙が金属・エマイユ・宝石などで飾られることが多く、このヒランダリ修道院に残るものは、キリストの生涯、特に受難と復活に関する場面がより詳細に、全24コマで描き分けたものである。各コマの四角形や円形の枠の中に一つの出来事を描かれ,狭い中での構図のとり方に工夫があり、またどれも、全体として暗い中に背後から金色の光が照らすような体裁も幻想的である。人物の表情も、細かく描かれているのが特徴である。
 さて、この聖霊降臨の場面は十二人の弟子たちがいる。聖霊降臨の絵の一つのタイプには、弟子たちの中心にマリアの姿を描くものもあるが、ここでは弟子たちだけである。一人(左下から二人目)の顔は判然としない。右下、左下の弟子は顔だけが覗かれるのみ。円形の枠組みの中に無理をして描き込まないところが、おもしろい、彼らの集う部屋の天上に丸い穴を受けて、見えるところだけを描いたという感じもする。
 ほかの弟子たちも、服の色、髭があるかないか、髭が黒いか白いか、どっちを向いているか、手はどうしているかなど、細かく描き分けられている。だれがだれだかはわからない。また、使徒言行録による聖霊降臨の描写にある炎の舌らしきものも、一番上(奥)の二人の弟子、(左がペトロのように思われる)の上に描かれているだけである。ただ、弟子たちの頭を白い光輪で囲んでいる意図は十分に窺われる。この光輪のほうが、むしろこの絵では、聖霊が降臨していることのしるしのようである。弟子たちが囲む中央のところにも何か光るものが見える。小さなテーブルか台なのかよくわからないが、ここも光輪と同じ光を受けているとすれば、弟子たちが一つの輪になっていること、そこにおける一致の象徴とも思えてくる。
 弟子たちの表情にも、何か統一的なものは、まだない。聖霊を受けて、使命に満たされていくのはこれからの動きとなるのかもしれない。そこがむしろ人間の集いの現実を映し出しているようにも思える。うがった見方になるかもしれないが、弟子たちの顔の向きや表情に統一感がない様子が、むしろ、「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒言行録2・4)という多様な対応ぶりを連想させる。聖霊を受けて始まる弟子たちの宣教の始まりは、軍隊や戦隊の派遣式が示威するような規律ある機械的な統一感とは異なる一致感をもつものだったのではないか。キリストへの思いによって根底において結ばれているという一致感は、我々がミサから派遣されるという場合にも共通にあるだろう。ともかくも、あたかも上から弟子たちを覗き見るようなかたちで描く視点は、同時に、こちらにいる我々の側にも向かってくるものでもある。我々自身の姿を顧みる鏡のように眺めていくのも、黙想の一つの趣向となるかもしれない。

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