『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年5月29日  キリストの聖体 C年 (白) 白

2016年5月29日
メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た (第一朗読主題句 創世記14・18より)

アブラハムとメルキゼデク
  モザイク
  ローマ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 4世紀
  
 きょうの第一朗読で読まれる、祭司であるサレムの王メルキゼデクがアブラム(アブラハム)を出迎え、その際にパンとぶどう酒をもって、祝福したという出来事にちなむモザイクである。
 創世記本文では数行で述べられる出来事だが、メルキゼデクの存在は、教会の中で特に聖体の秘跡との関係でとても大きい。そうなった理由としては、二つの他の聖書の箇所が関係している。一つはきょうの答唱詩編で歌われる詩編110 の4節で、待ち望まれる救い主が王である祭司であるとたたえて歌うところで、メルキゼデクが引き合いに出されている。ちなみに旧約の民においては、王も祭司も油を注がれて神の使命をあずかる人となる。「救い主」と訳されるヘブライ語メシア(ギリシア語訳「クリストス」=「キリスト」)も同じように「油注がれた者」を意味し、そこには王であることと祭司であることの二つの意味合いが含まれている。そして、もう一つの関係箇所、ヘブライ書7章は上述の二つの箇所、創世記14章の話と詩編110 を土台に、メルキゼデクと同じような永遠の祭司こそキリストであるとして、メルキゼデクがキリストの予型(前表)であると説き明かしていく。
 さらに、創世記14章が語る出来事のうちで、パンとぶどう酒への言及が教会においては、主の晩餐のときにキリストの体と血であるとして、イエスが弟子たちに与えたこととの関連で受けとめられていく。すなわち古代教会の教父たちは、聖体の秘跡の予型(前表)をそこに見て、パンとぶどう酒をもって、神を賛美し、アブラハムを祝福した、メルキゼデクの行為に注目し、彼のうちに、神と人類を結ぶ仲介者である祭司として奉仕し続けているキリストの姿を見るようになった。
 特に4世紀をとおして、洗礼を受けた後に受洗者たちに、入信式の典礼全般、とくに洗礼と聖体の秘跡の意味を伝える秘義教話と呼ばれる教えの講話が発展するが、その中でもメルキゼデクとアブラハムのこの話が語られることがしばしばであり、そのような前提のもとで、ローマ・ミサの伝統的奉献文(現在の第一奉献文)も形作られていく。聖別句のあと、「……永遠の生命のパンと救いの杯を栄光の神あなたにささげます」と告げ、この今の教会の奉献を旧約における先達となったものを思い起こしながら、「このささげものをいつくしみ深く顧み、こころよく受け入れてください。義人アベルの供えもの、太祖アブラハムのいけにえ、また、大祭司メルキセデクが供えたものを、とうといささげもの、汚れのないいけにえのしるしとして受け入れてくださったように」と祈る。
 まさにこのような祈りが形成されていた時代に建設された、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の内壁モザイクが、そこで祝われるミサの神秘の予型となった旧約の場面を表現しているということには、画像がいわば秘義教話の役割を果たし、ミサで祝われていることを語り明かす役割をしていることが窺われる。
 これはきょうの「キリストの聖体」の祭日の聖書朗読の役割とも対応する。きょうの第1朗読ではミサの前表(予型)となった出来事、第2朗読ではミサ(聖体の秘跡)の制定、そして福音朗読は、イエスの生涯における聖体の秘跡の予型ともいえる出来事が読まれるが、どれも、聖体に関する教えの講話において重要な意味をもつ箇所である。奉献文のようなミサの中心の祈り、聖書朗読の箇所、さらに答唱詩編やアレルヤ唱のような歌、それに加えて聖書にちなむ絵、これらすべてを使って、聖体の秘跡の豊かさを味わっていけるなら素晴らしい。それぞれに繰り返し心を留め、思い巡らし、味わってゆこう。

 このページを印刷する