『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年8月15日  聖母の被昇天 C年 (白) 白

2016年8月15日
いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう(ルカ1・48より)

神の母の眠り
  ロシア・イコン フェオファン・グレク作
  モスクワ トレチャコーフ美術館 14世紀末

   
 被昇天と訳されるラテン語は、アスンプシオで、文字どおりには取り上げられること、ここから、生涯を終えたマリアが神によって受け入れられ、神のもとに上げられたことをいうことになり、この意味で、天に上げられたこと、つまり被昇天と訳される。
 祭日としての聖母の被昇天の起源は、東方教会で8月15日に、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日があったことにある。ギリシア語でコイメーシスという。しかし、マリアが死の眠りに就くことは、すなわち、神に全面的に受け入れられ、神のもとに上げられたことという意味で、取り上げられることを意味するアナレープシスというギリシア語で表されるようになった。この祝日が西方に入ってきたときには、当初は、死の眠りを指すラテン語のドルミティオで呼ばれていた。やがて、天に上げられたことを指すアナレープシスが名称と伝わってくると、そのラテン語としてアスンプシオと呼ばれるようになり、現代に至る。1950年にマリアの被昇天が信ずべき事柄つまり教理として宣言されたときに明確化されたのは、きょうの集会祈願にあるように、マリアが「からだも魂も、ともに天の栄光に上げられ」たという点であったのである。
 イコンにおけるマリアの死の眠り(コイメーシス)のイコンは、この出来事がすなわち、神によって受け入れられ、天に上げられていくことと理解されたプロセスを如実に表している。この祭日に、このイコンを鑑賞することは、いわば祭日の発生史をまのあたりにすることでもある。
 イコンを見てみよう。横たわるマリアの遺体が画面下の部分を横の流れで描かれているのに対して、その寝床のすぐ近くの向こう側にいるのはキリストである。キリストの姿は、青い色の光背に包まれている。中心部(キリストの背の後ろの部分)はもっとも深い青、だんだんと外に向かうに従い、濃度が軽くなっていく、このグラデュエーションによって、キリストのいる次元の深み、神の次元、すなわち聖性の次元の深遠さが表現されている。キリストの頭上にいるのは、イザヤ6章などで、「聖なるかな」と神を賛美するセラフィムであって、これもキリストのいる次元の聖なるさまを強調している。
 そのキリストが両手に抱えている白い小さな姿は、受け入れられたマリアの姿、完全に神のものとなったマリアである。純白の小さな女性であるところに、神と人との対比とともに、天における新たな誕生をも思わせる愛らしい表現となっている。遺体のマリアと、受け入れられたマリアがともに描かれているところに、死の眠りと、天への受容の二つの主題が一面のイコンに同時に描かれていることがわかる。
 人間の次元が横(水平のライン)、神の次元が縦(垂直のライン)で交わっている。地上の光景は、マリアの寝床を囲む光景や背景の建物によって示されているが、神の次元(キリストの光背に包まれる姿)は、その中に突如、現れ、無限の奥行きを感じさせながら現れている。この二つの次元の出会わせ方がこのイコンのもっとも興趣にあふれるところであろう。
 さて、地上のマリア(の遺体)のそばには、使徒たちがいる。マリアの頭のほうの手前にいるのは使徒たちの筆頭ペトロである(献香をしている)。マリアの足元の手前にいるのはパウロ(頭が特徴的)、なにやらマリアに語りかけているようでもある。寝床の向こう側の右側でキリストに近いところにいて右手で頬を押さえているのはヨハネではないかと考えられている。使徒たちのほかには、東方教会の教父や主教であろうと考えられている。
 このイコンの中で「天」は必ずしも「上」を意味していない。「栄光」に輝くキリストの衣や光輪、受け入れられたマリアの「白」、光背を占める濃淡の「青」、セラフィムが表す聖性の「赤」……これらすべてが、神の聖なる次元としての「天」を意味する要素となっていると考えられるのである。

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