『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年11月13日  年間第33主日 C年 (緑) 緑

2016年11月13日
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい (ルカ21・19)


鞭打たれるキリスト
  ステンドグラス 
  パリ サント・シャペル教会 13世紀
   
  年間主日の終わりに近づき、イエスの教えも文字通り終末についての予告となっていく。きょうの福音朗読はルカ21章5−19節。世間でさまざまに終末の到来が告げられるなか、イエス自身は世の終わりが来る前に兆となる騒乱や天変地異を予告する(10−11節)。しかしその前に、迫害という艱難(かんなん)がイエスの弟子たちに襲いかかるとの予告がここでは主題となっている。「忍耐によってあなたがたは命を勝ち取りなさい」(19節)で締め括られるメッセージである。この教えは初期の信者たち、教会にとってなにより力強い支えとなっていたことだろう。
 このメッセージを支える旧約の預言(マラキ3・19−20a)がきょうの第1朗読。「見よ、その日が来る」(19節)の「その日」とは、直接には「炉のように燃える日」すなわち裁きの日、最終決定的試練の日であるが、それは同時に「義の太陽」(同3・20)の昇る前兆である。「義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある」という救いの到来の予告がこの預言の主題である。
 キリスト者にとって、「義の太陽」の到来は救い主キリストの到来を意味するものとなり、キリストこそが義の太陽という象徴的理解の土台となった。ギリシア・ローマ文化圏に宣教が広まる教父時代において、この理解は大切にされて、主の日(主日)がこの文化圏でいう日曜日(太陽の日)であることが重要視され、太陽崇拝を含むローマやエジプトの古来の祭が主の降誕や主の公現の祭日が形成されるきっかけにもなっていった。東(日の出る方角)がキリストの方角として入信典礼の儀式や聖堂建築でも考慮されていくのもその時代なのである。
 さて、きょうの表紙は、イエス自身の受難における鞭打ちの場面を描くステンドグラスの図。福音朗読箇所で、迫害に際しての忍耐を呼びかけるイエスのメッセージを念頭において、イエス自身の忍耐を黙想するためである。青、赤、白、そして黒で構成されているこの図の中でも、イエスの身体の白さが鮮やかに浮かび上がる。闇の中に輝く神の栄光の姿を映し出すものといえるだろう。このことが全面化するのが復活の時である。イエスが自分の身に受けたプロセスを、使徒たちも、初代教会も歩んでいくことになる。鞭打たれるイエスの姿は、弟子たちに呼びかけられた「忍耐」の原型となっていく。
 世の終わりの前に来るとされる、天変地異についてのイエスの言葉は今日でも極めて現実的である。
 民や国の間の敵対(10節)、大地震、飢饉・疫病など、20世紀を通しても、また21世紀初頭の現在においても増幅している。しかしただ、世の中の変異を傍観して、世の終わりを遠くに展望するだけではなく、むしろ、これらの前に起こるとされる「迫害」、信仰者の身に迫る危機こそ、心を向け、それに備えるべきものであり、問題となっているのは、あくまでもキリストを証しすることである。現代世界の混迷や紛争や問題「以前」に目を向けるべき、我々自身に迫り来る信仰の危機をこそ、見つめるべきことであるとのメッセージがある。
 第二朗読(二テサロニケ3・7−12)もその意味では、非常に身近な戒めを含んでいる。終末がどうせ来るるなら、今の生活などどうでもよい……という態度に対して、それは怠りだと言う。終末とは崩壊ではなく、すべての立て直し、完成であり、それに向けての試練と危機、新たに神との出会いが待っている……そのことへの信仰と希望、現実に対する忍耐が呼びかけられている。鞭打たれるイエスの姿とともに、イエスの呼びかけを深く受けとめていきたい。

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