『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2016年11月27日  待降節第1主日 A年 (紫) 紫

2016年11月27日
人の子が来るのは、ノアの時と同じである。……あなたがたも用意していなさい(マタイ23・37、44より)

ザアカイ
  ライヘナウの朗読聖書挿絵
  ドイツ ヴォルフェビュッテル
  アウグスト公図書館 10世紀
   
 ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂のモザイク壁画には、創世記のアダムとエバの物語、ノアの洪水と箱船の物語が丹念に描かれている。そこにおける人間や動物の描き方は非常に動的で、繊細になっていることに気がつく。
 典礼暦は新たになり、主日朗読A年の始まりとしてマタイから読まれるきょうの福音朗読箇所(マタイ24・37−44)では、ノアの洪水の出来事は、「人の子は思いがけない時に来る」(マタイ24・44)と教える話の中で思い起こされている。
 ノアの洪水のエピソード(創世記6〜9章)では、箱船によって、生き延びることを約束されたノアや箱船の生き物たちと、堕落し不法に満ちていた他のすべての「肉なるもの」の滅びという、運命の分岐に焦点が当てられている(イエスがマタイ24・40−41で語る、畑にいる二人の女・男の態度の教えもこの運命の分岐を教える譬えである)。それによって「人の子」キリストの再臨に備える目覚めが呼びかけられていることは言うまでもない。この呼びかけとともに待降節が始まり、やがて、第一の来臨(受肉、主の降誕)の想起に向かうのである。
 ノアの物語を参照させることによって、ここでのイエスの「用意していなさい」というメッセージは、非常に大きな展望にあることが感じられてくる。信者としては、きちんと信仰生活を送りなさいという個人レベルでの諭しや戒めのように受け取るべきことはもちろんだが、それだけではなく、主の再臨に備えることは世界全体、全人類、さらに命あるものすべてのものの存亡にも関わる連帯責任に関係していることを思わせるのである。「神に従う無垢な人」(創世記6・9)であったノアは、洪水による滅びの中から、新しい未来を約束された人類の第二の出発を刻む者として祝福され、契約の恵みを受ける(創世記9章)。イエスの呼びかけは、そのようなノアの生きた道には直接触れてはいないが、当然に、主を迎え入れる人に約束される新しい命、新しい使命への招きを含んでいよう。
 新約聖書の中で、ノアは、ここのマタイの箇所24・37−38(および並行箇所ルカ17・26-27)のほかにも、次の箇所で言及される。イエスの誕生を準備した人々の系図の一角として(ルカ3・36)、信仰の模範として(ヘブライ11・7)思い起こされ、またノアの箱船に乗り込んだ8人が水を通って救われたことが洗礼の予型(前もって表すもの)として語られる(一ペトロ3・20;二ペトロ2・5参照)も思い出される。
 主キリストを迎え、主に従っていく生き方への招くという意味で、待降節第1 主日におけるノアへの言及は大変意味深い。すべての人へのメッセージとしてまず受けとめていきたい。
 このモザイクが描く場面は、すべて肉なるものを雄雌二つずつ箱船に入れるように命じられ(創世記6・19−20節)、まさにそのようにされたこと(同7・14−15)を特に種々の鳥を描きながら表現している。神に忠実な被造物の再生と存続のための行動という意味で、これは、救われるものの象徴ともいえる図である。このような歴史についての伝承は、人類の生き方と未来に関する含蓄に富んでいる。
 教会堂(聖堂)は伝統的に船にも譬えられるが、そこには、この箱船のイメージも含まれているだろう。人類滅亡の危機の中から神のことばに従って未来に命をつないだ生き物たちを運ぶ船が、神の民を招く聖堂の意味に含まれているとしたら、それは、この現代世界における神の民の使命を鮮やかに浮かび上がらせるだろう。

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