『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年1月8日  主の公現  (白) 白

2016年1月8日
主の栄光はあなたの上に輝く(イザヤ60・1より)

東方三博士の礼拝(部分) 
  オルヴィエート大聖堂
  1370年代
   
  1370年から制作され、1377年に完成した、オルヴィエート大聖堂内陣の壁画装飾として描かれたフレスコ画で、作者はウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオという名の画家(生没年不詳)。
 表紙絵は、東方の三人の博士たち(すでに王という伝承に従っている)がマリアのひざに座る裸の幼子イエスを礼拝し、贈り物をささげようとしている光景である。降誕図の要素であるろばと牛も、聖母子の背後に描かれている。三人の王たちの背後で、頭に光輪の描かれている男性はヨセフだろう。
 その向こうで、救い主の誕生を王たちの従者に告げているかのような天使の姿も描かれている。降誕図の伝統的な要素と公現の要素が組み合わされている図といえるが、描写がだんだん写実的になっていることも感じられる。場面も立体的にイメージされつつある。
 先週の解説で、玉座の聖母子(マエスタ)は三博士礼拝の図から独立していったという点に触れたが、13世紀のイタリアでは、だんだんと、幼子が着衣姿ではなく、裸の赤ちゃんとして描かれ、母子の情愛が表現されるようになるという、一種の人間的描写の側面が強くなる。ここで、三王礼拝図の中にいる聖母子でも、幼子が裸で描かれるのは時代の趨勢(すうせい)に則ったものなのだろう。ただし、ここで幼子は、裸ではあっても、すやすやと寝ているのではない。礼拝者たちにしっかりと対面し、威厳をもって祝福を与えるしぐさをしている。本来はありえないことだが、この裸の小さな人間の姿の中に、まさしく神の子であること、まことの王であることが表現されている。そして、マリアの姿勢は、あたかもこの小さな王の玉座のようである。全体として愛らしさにあふれている部分ながら、厳かなキリストへの信仰告白とマリアへの敬愛が込められている。
 三人の王の動きも細かく描き分けられている。一番前の王は、冠を取り去って、ひざまずき、幼子の足に接吻している。最高の表敬の動作である。真ん中の王は、右手を胸にあて、左の王は、両手で贈り物の器を大切に掲げている。いずれにしても表敬の深さが示されている。彼らの後ろのいるヨセフは、他の作例に見るような、うつむいて、自分に問いかけ、悩んでいるようではなく、これらの光景に対して、両手を広げて、幼子における救い主の現れを全面的に受けとめ、天使のお告げを神妙に聴きとめている。画面の右側、家の奥の方からあふれんばかりに放たれる光が聖家族と異邦の三王が注がれ、「主の栄光があなたの上に現れる」(第1朗読 イザヤ60・2)と約束された恵みに包まれ始めている。
 左端に描かれる、馬たちの動きが激しい。救い主の現れの出来事に興奮しているのだろうか。従者が抑えようとしている。そのようなドラマティックな動きを描き込むというところに新しい感覚も感じられる。
 さて、きょうの聖書朗読箇所は、旧約と答唱詩編で、異邦の民が主に贈り物をささげることが歌われ、その実現が、マタイ福音書で述べられる。約束と成就がぴたりと対応するところである。そして、第2朗読では、これらすべてを包むかのように、神の救いの「秘められた計画」(エフェソ3・3)と呼ばれている。公現と三王礼拝を描くこの絵には、イエス、マリア、ヨセフはもちろん、異邦の王たちにも、頭の後ろに光輪が付けられている。王たちの光輪は光を放つような形に造形されている。これらの光輪は、神の救いの計画が実現していく過程を担っている人々を示すということもいえる。神のみ旨といってもよい、救いの計画(神秘、秘義)は、こうしてイエスの生涯の出来事、イエスとかかわる人々を通じて、実現し、示されていく。その最前線に、今、この出来事を記念してミサを祝う教会がある。幼子に礼拝する王たちの後ろには、我々が続いている。

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