『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年1月22日  年間第3主日 A年 (緑) 緑

2017年1月22日
悔い改めよ。天の国は近づいた (マタイ4・17より)


新しい掟を授けるイエス
  石棺彫刻(部分)
  バチカン サン・ピエトロ地下墓室 4世紀
   
 初期キリスト教美術の重要な舞台である石棺彫刻には、掟を授けるイエスという画題が掲げられる作例が多く見られる。権威者からの法の授与というローマ世界にあった造形の型がキリスト像に応用されていったものと思われる。掟の授与の意義と中身については、福音書が伝えるイエスの宣教の様子と内容のすべてを考えてよいだろう。それは神の新しい掟としての愛の掟ないし、神の国の福音をもたらすイエスの姿にほかならない。そこで、きょうは、マタイからの福音朗読箇所のイエスの宣教の開始のことば「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4・17)と結びつけてみることにしたのである。
 この作品では、イエスは青年として描かれている。しかし、右手は十字架の杖を掴み、左手は巻物を掲げる。十字架での死を経て復活へと歩み、神のことばを告げる救い主という意味で、ここには、イエス・キリストの全生涯の意味が込められている。両脇にいる二人の男は、もちろん弟子・使徒であるが、いわばキリストに出会う人間、人類すべてを象徴する存在と見ることもできる。
 イエスは脚台の上に立つ。権威者の象徴かもしれないが、ここは、人間より高い位置にあるということを示すしるしにもなる。そこまで権威のある存在なのに、顔は全く若々しい。ある種の逆説は、その若さが神のいのちの永遠の若さのしるしであるというメッセージにもなる。世の立法者とは違う、イエス・キリストが全く独特な掟の授与者であることをここから鑑賞していってよいだろう。
 「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4・17)と第一声を放つイエスは、やがて、旧約において、神の民の生き方の道しるべとして授与された律法、そして預言者たちの預言をも完成する方となるが、十字架の杖が示すように、そのことが最終決定的に成就するのは受難の死と復活においてである。
 ところで、きょうの聖書朗読の中で注目すべきことが、さらにひとつある。それは、第1朗読箇所となっているのが、イザヤ書8章23節b〜9章3節だということである。これは、もちろん、福音朗読における引用と対応するもので、イエスがガリラヤに退き、カファルナウムに来て住んだことが、まさしくイザヤのそこのその預言の実現だと語られているのである。だが、その中の9章1節とは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた…」は、主の降誕・夜半のミサの第1朗読でも読まれた箇所である。同じ預言が、イエスの誕生にとっても、またイエスの宣教の開始にあたっても予告的な預言として示されている。降誕節の主題、神の子の顕現の余韻は、まだ続いている。
 このように、ミサの聖書朗読箇所と造形作品を重ね合わせて味わっていくと、どちらもさらに豊かな内容が見えてくる。この掟の授与者イエスのうちに、受肉と降誕の神秘、そして、死と復活の神秘がはっきりと結ばれているということである。このことは、イエスの公生活における教えや行いすべてを貫き、それぞれで光を放っている。青年イエスの姿のうちに、そのような意味合いを見ておきたい。

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