『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年3月1日  灰の水曜日  (紫) 紫

2017年3月1日
わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです (二コリント5・21より)

十字架のキリスト
  象牙彫り
  スペイン マドリード 国立考古学博物館  12世紀


 灰の水曜日、四旬節の始まりの日である。福音朗読箇所は、マタイによる山上の説教の一部、施し、祈り、断食に関する態度を教えるイエスの言葉であり、第1朗読箇所は回心を呼びかける主の言葉を告げる。四旬節の趣旨が明確にこれらによって示されるが、第2朗読の二コリント書の箇所(5・20〜6・2)は、四旬節から聖週間、復活祭までを通して記念されるキリストによる贖いの神秘を語っている。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(5・22)という言葉のうちに、キリストの死と復活の意味が尽くされている。この内容を心に刻みつつ四旬節に入っていくために、表紙では十字架のキリストを描く作品を掲げている。12世紀、ロマネスク時代のイベリア半島で作られた象牙彫り。イエスの右腕の先の部分はすでに失われている。
 ロマネスクらしい特徴の一つは、十字架上のキリストが目を開けているところにある。古代末期に磔刑の場面が描かれたときに比較的多かった特徴で、9世紀から12世紀までは目を閉じている図像と目を開けている図像が並行して登場する。目を開けているキリストを描く場合には十字架上で死に、復活し、永遠のいのちをもって生きている主を併せて描くという意味が出てくる。もっとも、この像の場合、頭を垂れ、顔が下を向いているので、それが明確な死の描写とも受け取れるので、それでも目を大きく見開いているところがやや奇異にも映る。しかし、そこに作り手の意図と工夫を感じたい。
 この十字架のキリストの像が展望しているものはもっと広い。キリストの脚もとに描かれているのは(拡大しないとわかりにくいが)腰を覆って身をかがめている男の図である。アダムの楽園追放の図と思われる。そして頭の上のほうには復活したキリストが描かれている。勝利を意味する十字架の杖を手にして、墓から立ち上がって天を仰いでいるところである。つまり、十字架のキリストの下に暗示される、神によって創造された人類が罪に堕ちた歴史が、キリストの死と復活をとおして神へと再び導かれていくという、救いの歴史全体が要約されていることになる。
 実は、主日の聖書朗読配分A年(今年)は、四旬節第1主日(来週)の第1朗読で人間の創造と罪の主題で創世記(2・7-9, 3・1-7)が読まれて以降、旧約の歴史のいわばダイジェストが展開され、キリストの死と復活の出来事を目指していく。その意味で、きょうの表紙作品は、今年の四旬節の朗読の導入の意味をももつ。ちなみに、この十字架の像の左右の縁(イエスの両腕の上下部分)には、戦い合う動物が描かれている。これは、人類の歴史を通じて展開されてきた悪魔、悪霊との戦いをイメージしているのだという。これも四旬節第1主日(来週)の福音朗読(マタイ 4・1-11) で読まれる、イエスの荒れ野での誘惑の場面を想起させる。このような神と人類のかかわりの歴史の中で、我々も今生きており、そして四旬節を通して、回心の呼びかけに耳を傾けている。
 人間世界に広がる、さまざまなかかわりの中で揺れ動きつつも、まっすぐ神に向かって生きていくために、受難の死をとおして復活へと歩んだキリストは、確かな支柱となるであろう。主イエスの見開かれた瞳がすべてを見通すほどに力強い。きょうの福音朗読箇所で三度繰り返される「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(マタイ 6・4,6,18) のことばが響く。

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