『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年4月23日  復活節第2主日(神のいつくしみの主日)  A年 (白) 白

2017年4月23日
信じない者ではなく、信じる者になりなさい  (ヨハネ20・27より)

イエスとトマス
 二枚折り書き板装飾
 ギリシア アトス ヒランダリ修道院 14世紀
   
 復活節第2主日の福音朗読は毎年このヨハネ20章19−31節である。イエスが復活したその日、すなわち週の初めの日の夕方に、復活したイエスが弟子たちの真ん中に来て立ったこと、トマスが疑いを示したこと、そして、その八日の後、つまり次の週の初めの日にまた、イエスが弟子たちの中に現れたこと、そのあと展開されるトマスとのやりとりがその内容である。
 このアトス山ヒランダリ修道院に残る二枚折り書き板装飾も、イエスの生涯に関する多くの図の中にこの場面を組み込んでいる。小さな丸い枠の中で、他の弟子たちは一切描かれず、イエスとトマスだけに限定されていること、そして、イエスの身体がだいぶ曲がったように描いているところは、この書き板装飾ならではのユニークな特徴である。
 一般に「トマスの疑い」と紹介されるこの画題の典拠は、イエスがトマスに言われた「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」(20・27)にある。しかし、トマスがそれに対して、どのような行動をしたかは実際には述べられていない。そこを絵は表現してきたわけだが、描き方は多様である。なかでもトマスがイエスのわき腹のほうに手を伸ばすしぐさのまま描くもの、さらに、実際にわき腹の傷に手の指で触れているところを描くものが比較的多い。この図も、トマスの右手の指が脇腹の傷に触れているように描いている。トマス自身の表情は、疑っているようではなく、目をしっかりと開き、誠意をもって確かめようとしている様子を示す。イエスの顔は黒く塗られた部分があって、一見やや暗く感じられるが、よく見ると、その目は明るく開かれている。結局、ここでのイエスとトマスの対面は、清明なものである。イエスの「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」というイエスのことばに対して従順にこたえているトマスの姿がある。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」というイエスの言葉に対して、「わたしの主、わたしの神よ」(20・28)と宣言するトマスの姿が先取り的に表現されているのではないかと思わされる。「トマスの疑い」というよりも、「トマスの信仰」の場面なのである。
 イエスが右手を伸ばした先(上)に水色の帯のようなものが広がっている。これが何を意味するのか考えるとき、この場面の前にある、イエスの聖霊授与を思い起こさずにはいられない。そこでは、弟子たちに対して息を吹きかけながらイエスが言う。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される……」(ヨハネ20・22、23)。この出来事を前提として、トマスとのやりとりを見ると、聖霊の働きがイエスとトマスの対話に及んでいることが推察される。絵の作者たちも、ヨハネ福音書のこのあたりの叙述の含みをしっかりと考慮していたのであろう。
 イエスの屈曲した身体と聖霊の“帯”は、ここではトマスの全身を包み込もうとする勢いを感じさせる。そう見ると、この絵の構図には動きが出てくる。イエスの身体の動き、イエスが放つ聖霊の息吹、それは、トマスを超えてさらに外にまで広がっていくようである。そこに「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)というイエスのことばがぴたりと重なってくる。それは、イエスと直接出会った弟子以後のすべての信者にとっての祝福の告知にちがいない。聖霊の青が、さまざまな濃淡をもって、イエスの衣、トマスの衣、聖霊の“帯”に行き渡っている。背景は、永遠のいのちの輝きを意味する金色によって満たされている。
 このように鑑賞すると、この円形の小窓のような絵が、実に力に満ちたものに感じられてくる。トマスのことば「わたしの主、わたしの神よ」を、我々もともに叫び、復活節の喜びの賛美としたい。

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