『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年5月7日  復活節第4主日 A年 (白) 白

2017年5月7日
わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである(ヨハネ10・10より))

良い羊飼い
  モザイク  
  ラヴェンナ ガラ・プラキディア 6世紀
  
  ガラ・プラキディア(390 − 450)はキリスト教を国教にしたとして知られるローマ帝国皇帝テオドシウス1世の娘。ラヴァンナにあるこの廟堂のモザイクで有名である。入口の上の壁に描かれるのが、この良い羊飼いとしてのキリストと羊たちの図である。髭のない青年の姿のキリストは、金色の衣をまとい、頭の後ろには同じく金色の光輪が描かれ、すでに主としての尊厳に満ちている。左手が抱える十字架型の牧杖が何よりも、死と復活を経たキリストがすべてを導く牧者となったという、救いの歴史の極致を表している。緑豊かな景色の中で、キリストは岩の上に座している。一見のどかなこの自然の光景が、天の父の右の座にあるキリストを表しているわけで、羊たちも安心し切って、主の世話を受けているといえる。楽園の平和が表されている。
 良い羊飼いは、キリスト教美術の初期から愛好されたキリスト像である。カタコンベの壁画や石棺彫刻でしばしば登場する。キリストを示す属性をもたずに、ほんとうに当時のローマ社会にいた牧者の姿を映し出すかたちで、筋骨たくましい壮年の姿やひげのない青年の姿などで多様に描かれてきた。直接には、死後の魂の世話をキリストにゆだね、その導きを願うという永遠の命への希求を表現したものと考えられている。その羊飼いの姿が、このモザイクでは、すでにキリストの特色を示すイメージで飾られていることで、キリストに寄せる救いへの願いとともに、キリストに対する賛美が込められた図になっている。
 背景の青も美しい。神の栄光、聖霊の充満、緑が示す永遠の命、羊の白い毛が示す、すべての罪から救われた者という意味合い、キリスト教の信仰観が凝縮された図といえるだろう。
 さて、おさらいになるが、復活節第4主日は伝統的に「良い牧者の主日」「良い羊飼いの主日」と呼ばれる。この日にはABC各年ともにヨハネ福音書10章から朗読箇所が選ばれている。A年=10章1−10節、B年=10章11−18節、C年=10章27−30節。全体を通して、自分の羊を呼び、導く羊飼いに対し、その声を聞き分け、従う羊たちという関係が主題となっている。
 きょうの福音朗読箇所はA年のヨハネ10章1−10節だが、この箇所ではイエスはまだ自らを羊飼いとは言っていない。 1−10節のテーマは「門」である。この門から羊飼いも入り、羊も入る。イエスは「わたしは羊の門である」(7節)、「わたしは門である」(9節)と繰り返す。羊飼いが入る門であり(2節)、その羊飼いの声を聞き分け、その「門」すなわち「わたし(イエス)を通って入る者は救われる」(9節)と言われている。この文脈に限るなら、ここで言われている「羊飼い」は実は父である神自身である。イエスは、父である神と人間とが出会うために開かれる門であるとまず言われているのである。その後、11節から、イエスは直接「わたしは良い羊飼いである」と語り出す。14節でもこの言葉は繰り返され、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」(15節)。父と自分(キリスト)の一体性が告げられる。こうして、父と御子キリストとの交わりと同じように親密で深いキリストと信者との交わりが、羊飼いと羊たちとの関係に譬えられていることになる。
 このように、イエス自身は、父である神に至る入口(門)であるという位置づけと、イエス自身、御父と一体となって、羊飼いであるという二つの側面が語られていることになる。ヨハネ福音書全体がこの真理の説き明かしという特色をもっている。表紙のモザイクにおけるキリストの主としての尊厳は、実は御父の存在と栄光の反映である。御父自身が形象で描かれないところでも、キリストが御父を表している。キリストらしい属性を帯びるようになった図像は、すでに御父と御子の一致を根源に宿した主キリストの姿である。こうして「良い牧者の主日」はすでに「三位一体の主日」であるともいえる。
 廟堂の入口という、いわば天に向かう門の上に描かれたキリストは、「わたしは羊の門である」(7節)という言葉に通じ、我々にも向けられているその呼びかけは、まっすぐに御父のもとに通じている。

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