『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)

 2017年5月28日  主の昇天 A年 (白) 白

2017年5月28日
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる (マタイ28・20より)

キリストの昇天
  浮彫  ルカ・デッラ・ロッビア作 フィレンツェ
  サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂  15世紀半ば

 ルカ・デッラ・ロッビア(1399 頃-1482)は主にフィレンツェで活躍した彫刻家、陶彫家で、「施釉(せゆう)テラコッタ」という技法を確立した芸術家として知られる。テラコッタ(素焼きの陶器)に釉薬を施すというものだが、それによって浮彫や塑像を作るという応用がなされる。この「キリストの昇天」は、聖堂の中の半円形の壁(リュネット)に浮彫で造形されたものである。
 主の昇天は面白いことに、直接、昇天の出来事を語る使徒言行録1章1−11節がABC各年とも共通に朗読される。この出来事を図において、古来、さまざまなタイプがあることはこれまでも触れてきた。マリアや弟子たちが画面の下に集まっているという構図はどれも大体に似ているが、(1) イエス自身が自ら天に向かって山を昇っていくように描くもの、(2) これと似た構図だが、神の右の手が上から出ていてイエスを引き上げるというように描くもの、 (3)栄光に包まれたイエスがマリアと使徒たちの上に描かれ、天に昇っていくところ、(4) これと似ているが、イエスの全身が栄光の光背に包まれて天使たちによって天に上げられていくように描くもの、さらに (5)上を見上げる使徒たちの上にイエスの足だけを描くものなど。
 このデッラ・ロッビアの作品は、この中で(3) の型に近い。イエストの姿は特に栄光の光背に包まれているわけではないが、マリア (向かって左側中央の奥) と11人の使徒たちの上に浮かんでいる。イエスの身体がほんとうに浮かんでいるように見える。その描写は見事である。両手を掲げて祝福を送っているさまは、マリアと弟子たちが一様にイエスに向かってひざまずいて手を合わせている姿と響き合って、緊密な統一感を作り出す。背景の青も生い育つ樹木の緑も鮮やかである。聖霊のいぶきの中に成長し始める新しいいのちをここから感じ取ることができよう。
 さて、主の昇天の福音朗読では、A年の今年はマタイ福音書の最後の節、イエスが使徒たちを派遣することばが読まれる。B年の福音朗読箇所(マルコ16・15−20)、C年の福音朗読箇所(ルカ24・46−53)は、いずれにも派遣の言葉に加えて昇天への言及が含まれているのに、マタイの箇所は派遣の言葉のみである。その結び「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)は、マタイ福音書1章23節の、誕生が予告された男子(イエス)についての「その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、」『神は我々と共におられる』という意味である」というお告げに対応する。マタイ福音書が照らし出すイエスの意味(=「いつも共におられる神」)が印象づけられる。昇天とは、地上で使徒たちと一緒にいるのとは違うあり方で共にいることになる出来事であると、考えることができる。
 「天」は神の存在する次元を表す語で、空の上といった空間的な意味のものではないことは既に理解されていよう。「天におられるわたしたちの父よ」と主の祈りで祈るとおりである。イエスはその次元へと移っていく。復活したイエスは「たびたび」弟子たちに現れたが、今度は「いつも共にいる方となる」。この「いつも」の次元が「天」であるともいえる。
 いつも共におられるキリストに向かうマリアと使徒たちの姿は、すでに教会を象徴する。礼拝共同体としての一致がよく示されている。そして、この光景はミサごとに現在化されているといえるのである。キリストが福音を告げるなか、自らのからだ(聖体)を授けるとき、我々はこの使徒たちのようになっている。キリストに向かって心も姿勢も一つにしている弟子たちは、やがて聖霊降臨を受けて全世界に向かっていくことになる。同じように、我々も、ミサから世界へ、また日常の生活の中に派遣されていく。その派遣の源となるキリストとの一致の交わりの光景を、この白の色彩的統一を強調するこの作品をとおして、いっそう深く味わうことができる。

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