何ももたず、何も欲さず、ただひたすら捨てることで導かれたよろこびと安らぎの境地。
家田足穂(いえだ・たるほ)
1932年生まれ。上智大学文学部史学科卒業。同大学大学院西洋文化研究科修了(文学修士)。2002年まで南山短期大学教授(キリスト教文化史・比較思想)、2005年まで同短期大学非常勤講師(ヨーロッパ芸術論・比較思想)。著書に『メサイア――テキストと音楽の研究』(音楽之友社、1996年)、『《メサイア》は何を歌うのか――その魅力と醍醐味』(聖公会出版、2008年)。共著に『ヨーロッパ・キリスト教史2』(「イングランドのカトリック化」中央出版社、1971年)。その他、イギリス修道院文化の研究、メサイアテキストと音楽の研究、アシジの聖フランチェスコと一遍上人の比較研究などの論文多数。〔最新刊刊行当時〕
徹底した清貧に生きた修道者・聖フランチェスコと鎌倉新仏教のひとつ時宗の開祖・一遍上人の人となりを残された資料から浮かび上がらせ、現代に生きる私たちに「捨てる喜び」という新たな価値観を提示する。
はじめに――捨てることから究極へ
1 現代に生きる聖フランチェスコと一遍上人――今なぜという問い
「われわれ」はどんな時代に生きているのか
われわれは何処から来た何者であるのか
今なぜ、聖フランチェスコと一遍上人なのか
2 捨てることによって何を得たか――フランチェスコと一遍の「回心」
フランチェスコの回心
一遍の回心
3 生きることの根底と究極は何か――フランチェスコと一遍の相似と接点
根底にある「清貧」無所有と「一切捨離」
霊性の究極にあるもの
キリスト教と仏教――比較思想の意味するところ
4 あらゆる階層の人たちと共に生きる――フランチェスコと一遍に出合った人々
「平和の挨拶」を受けた人々
「念仏札」を受けた人々
5 われわれは何処へ行くのか――捨てることによる喜びと平和
喜びの中へ
「力への信仰」を超えて
正義に必要なもの
真の平和を実現するために
むすびにかえて――聖フランチェスコと一遍上人の心と姿
史料(資料)と参考文献
おわりに