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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年4月17日  復活節第4主日 C年 (白)
わたしはわたしの羊に永遠の命を与える(福音朗読主題句 ヨハネ10・28より)


善き牧者
  モザイク
  石原新三(横浜教区)

   

 (はじめに:編集部より)
 今回、『聖書と典礼』復活節第4主日の表紙に作品を掲載することをご快諾くださった石原新三氏からいただいたメッセージを紹介します。
 「モザイク絵画制作の石原です。このたびの掲載のお話感謝申し上げます。掲載のお話の善き牧者は、モザイクで絵画表現を夢中で制作した作品です。どのような材料を使うものでも、絵画を表現するのは長い時間がかかります。1作だけのことではなく画家自身の人生、道行もかかわってきます。この作品は今も続くこの道、信仰の道の作品として思い出深いものです。」

 石原さんの略歴も紙面では紹介できませんでしたので、下記に示します。

1948年  愛知県高浜市生まれ。学生時代に日本画を学ぶ
1971年〜  箱根強羅、ドーム天井550 平方メートル壁画制作スタッフ参加。
        作野旦平原画。以後、作野先生の仕事で岡山県倉敷市民会館のステンドモザイク、岡山県宇野市民会館のモザイク壁画、フレスコ画。丸の内日本興業銀行のモザイク壁画制作に従事。
 1977〜78年 カトリック大分教会、カトリック臼杵教会のモザイク壁画参加
 1978年 日本画の作品、白士会展、白士会賞受賞
 1981〜1982年 東京ディズニーランド、シンデレラ城、モザイク壁画、チーフ参加
 1984年 カトリック別府教会、ドンボスコ、モザイク絵画制作
 1985年〜 原画フラアンジェリコ等、モザイク絵画の作品を継続して受注する
 1990年代〜 東京カテドラル、ルルドの泉、モザイク修理。マリア像ペイント復元協力
          カトリック喜多見教会、長谷川路可作品、フレスコ作品ストラッポの復元を協力
 1996年〜 カルチャー・スクールと個人教室でモザイク絵画教室を開催。
         (東京都内複数、神奈川県、千葉県)
 1991年〜 モザイク絵画個展、モザイク絵画グループ展
 1985年〜 カトリック美術展出品。現在、事務局長
 【その他のカトリック教会、関連施設モザイク絵画、壁画作品】
      東京カテドラル教会内、聖園幼稚園モザイク壁画
      白百合女子大学、フラアンジェリコ原画、受胎告知、二人の天使。モザイク絵画
      カトリック調布教会、チマッチ神父モザイク絵画、小聖堂、モザイク壁画
      光塩女子学院、日野幼稚園モザイク壁画
      聖マルチン病院、ミレー原画、晩鐘、モザイク壁画
      カトリック小金井教会、磁器モザイク壁画、床面
      カトリック東舞鶴教会、絶えざるお助けの聖母、モザイク絵画
      カトリック青梅教会、十字架の道行、モザイク壁画
      レデンプトール会、カトリック初台教会内、絶えざるお助けの聖母、モザイク壁画
      女子パウロ会、フラアンジェリコ原画、聖母、モザイク絵画 喜多見教会より移動
      八街修道院、フラアンジェリコ原画、受胎告知、モザイク絵画

 作者が「信仰の道の作品」というこの「善き牧者」。この図を鑑賞者自身のそれぞれの信仰の思いから味わっていただきたいと思う。ここでは、キリスト教美術を見てきたなかで気づかれることを記しておくので、何らかの参考にしていただければと思う。
 この絵の善き牧者キリストの特徴はなんといっても、衣の赤い色にある。このような表現は大変珍しく、斬新であるとともに、さまざまな黙想を刺激する。
 きょうの福音朗読箇所は、ヨハネ10章27-30 節と短いが、どの部分も我々の心を奮い立たせる。前半でイエスはこう言う。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(27−28節)。牧者(羊飼い)のイメージを使うことで、我々信者をやさしく守り導くキリストのあり様を思い浮かべるかもしれない。しかし、ここの言葉を見ると、「聞き分ける−従う」ということが「命」や「滅び」との関連で出てくる。「だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」という言及には、羊の群れがもしかしてだれかから奪われることもあるという一種の危機を仮想していることが窺われる。危機を意識した上で語られる「決して滅び」ないであり、「永遠の命」である。明らかに信者が直面することになる迫害や苦難、ひいては殉教への暗示を含んでいるように思われてならない。
 善き牧者の譬えは、単に導く人と導かれる人との関係の譬えというだけでなく、受難に向かうキリストと、殉教さえも覚悟して生きる信者との関係を表す譬えなのではないか。牧者イエスの衣の「赤」がそのような思いを刺激してならない。
 前の週の復活節第3主日(C年)のヨハネからの福音朗読(長い場合)で読まれる本文ヨハネ21章1−19節の最後のところを思い出してみよう。イエスは、ペトロに「わたしの羊を飼いなさい」というそのあとで、ペトロの迫害を受け、殉教の死を遂げることを予告するように語る。イエスから牧者の務めを委ねられることと殉教の道が覚悟させられることがここでは重なっている。それは、イエス自身の受難の道に従う生き方への招きでもある。我々は、イエスの腕に優しく抱かれる小羊のようでありたいと望むが、それは、イエスとともに神の小羊となっていくことを意味する。すなわち、神にささげられるいけにえとなっていくという道である。信仰は命懸けのことである。石原氏の作品は、確かに信仰の道への思いを深く湛えている。

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