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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年10月16日  年間第29主日 C年 (緑)
御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい (二テモテ4・2より)


聖パウロ
  モザイク
  イタリア モンレアーレ大聖堂  12世紀
   

 きょうの第2朗読箇所(二テモテ3・14〜4・2)にちなみ、使徒パウロを大きく描く、イタリア、モンレアーレ大聖堂のモザイクが表紙に掲げられている。
 パウロの肖像として伝統的な、禿げ上がり、額が大きく出ている頭が特徴的である。後ろには、「聖パウロ使徒。真理の宣教者、諸民族の教師」と記されている。パウロの使命を要約する称号である。
 左手には聖書を携えている。彼自身が伝える神の知恵や御言葉の象徴である。また、右手は、使徒的祝福を送るしぐさをしている。このような基本姿勢は、先週の「荘厳のキリスト」像とも共通である。人間であるパウロが、キリストと同じ姿勢でよいのかと思われる向きもあるかもしれない。しかし、彼は使徒であり、キリストと同じ使命にあずかるものであることを考えれば、それも不思議ではない。キリストが携える書物は、自らが神のことばであることのしるしであるが、パウロが抱える書物は、キリストから委ねられた福音のしるしである。キリストの祝福のしぐさは、神の子としての全権をみなぎらせているとすれば、使徒の祝福のしぐさは、そのキリストから託された宣教者の使命のしるしである。使徒が人々を招いていくキリストとの交わり、父なる神との交わりのもたらす恵みのしるしであり、その交わりへの招きそのものである。
 この祝福のしるしは、パウロの手紙の冒頭と結びに記される、彼の手紙の内容と、その冒頭や結びに記される挨拶に対応する。二テモテ書では、冒頭に「父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように」(二テモテ1・2)、結びに「主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように」(4・22)とある。これらの言葉の響きを、パウロの右手のしぐさのうちに十分に味わえる。
 この大聖堂では、パウロのモザイクがキリストの十字架磔刑像と重なる形で描かれていることも重要である。使徒の使命はキリストの受難と復活なしにはありえないからである。たえず十字架のキリストと結ばれて、使徒パウロの宣教活動が行われていたことは、いうまでもない。
 二テモテ書は、福音宣教への励ましに満ちている。聖書と親しむことを教え、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(二テモテ4・2)と命じる。この言葉がどれだけ、パウロに続く諸民族の教師となった宣教師たちの気持ちを強めてきたであろう。同時に、この言葉が単に、たとえば日本に来たザビエルをはじめとする宣教師たちだけに向かっているだけではないことも考えなくてはならない。
 現在の主日のミサは、まさに使徒の手紙を第2朗読として読むことによって、この宣教への呼びかけを信じる我々すべてへの呼びかけとして伝えてくれる。「折が良くても悪くても」励むべきなのは、司祭だけでなく、神の民すべてである。聖書に学びつつ、たえず福音宣教に励めという呼びかけは、ミサそのものがたえず含んでいるメッセージであり、閉祭は、宣教への派遣にほかならない。
 このことを考えながら、きょうの福音朗読(ルカ18・1−8)と第1朗読(出エジプト17・8−13)を見ると、共通に「気を落とさずに絶えず祈ること」を主題としているといえる。それはただ、一人ひとり信心深くあるようにというだけでなく、キリストをとおして神から受けた福音宣教の使命に向けて、たえず祈りつつ励むようにという呼びかけであることが見えてくる。きょうの三つの朗読の関連を、このパウロの姿とともに味わい、今、我々に課されている福音宣教の使命について心を向けていきたい。

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