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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年12月25日  主の降誕(夜半のミサ)   (白)
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった (福音朗読主題句 ルカ2・11より)


主の降誕
  ステンドグラス
  フィレンツェ大聖堂 15世紀
   

 フィレンツェ大聖堂のステンドグラスの円形に区切られた窓に描かれたイエスの誕生の図。ガラスを区切る黒い縁が数多く、全体の描写の流れが判別しにくいが、一つひとつの構成要素を確かめ味わってみよう。 真ん中下あたりの白い布らしきものと、裸の幼子の姿が重なるように描かれている。白い布で包まれているというよりも、その上に裸の姿がある。白さと肌色とが一つの体の中に描かれているとしたら、人となって生まれた神の子を示そうという表現意図があるのかもしれない。
 幼子の上には、牛とろば。これは、周知のようにイザヤ1章3節「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」をヒントにした降誕図像の東方教会でも西方教会でも受け継がれている定型要素で、すべての人にとっての救い主の誕生を示す重要なシンボルである。牛とろばの上には、馬屋であることを示すような屋根と柱も描かれている(ちなみに、ルカ福音書には、「馬屋」とは記されていないが、「飼い葉桶」への言及から自然とそのようにイメージされている)。
 幼子の(向かって)右側に描かれているのは、ヨセフ。目を閉じて何か物思いに耽(ふけ)っている。これもヨセフの疑いはマタイ1章18−20節で言及される、マリアの聖霊による受胎に対して複雑な思いになる場面や、『ヤコブ原福音書』という外典に伝わる伝説を背景にして東西とも描かれ続ける要素である。これが、おとめマリアからの誕生という神秘に気持ちとして追いつけないでいる配偶者の心象を浮き彫りにしつつ、神の子の降誕の神秘を裏返しで強調する役割を果たしている。
 ここで、注目すべきは、幼子に向かい合っているマリアの姿である。清らかな眼差しを幼子に向けながら、手を合わせて礼拝をしている。その装束はかなりきらびやかであり、高貴な女性、あるいは后のような姿をしている。降誕図の歴史の中で、マリアは、以前には(西方の写本画でも、東方のイコンでも)長い間、幼子の下側に横たわった姿で描かれていた。自然な産後の女性の姿である。それに対して、13世紀頃から、マリアがひざまずいて幼子イエスを礼拝する姿で描かれるようになる。降誕の神秘に対する新しい信仰心の態度やそれとも連動している。降誕の出来事が、神の子が人となったことを神学的にとらえるだけではなく、貧しい人々の世界に、しかも最も弱い幼子の姿で来られたことに対して、より人間的な共感をもって向かい合い、その神秘の前で敬虔に礼拝する心である。今日でも親しまれる「馬屋の模型」が誕生するのもこのような礼拝心の反映である。
 マリアはこうして、救い主を迎えた人類、そしてそれを知る教会(神の民)の象徴ともなる。マリアのようでありたいというあこがれや願いをこめて、天の后(元后)や女王といったイメージがマリアに加えられてくる。『典礼聖歌』にある「天の元后・天の女王」「元后、あわれみの母」といった聖母賛歌が広まることとも連動している。こうした、降誕の神秘への眼差しの変化、マリア崇敬の隆盛が結びついている事情をこのステンドグラス作品からも見てとることができるのである。
 この降誕・夜半のミサで読まれる聖書朗読箇所と合わせて味わうなら、なによりも第1朗読のイザヤ書9章1節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」が迫ってくる。ステンドグラスが闇の中に光彩を浮かび上がらせる効果をもつことが、ここで十全に示される。この円の頂点に光を放つ一つの星があるが、小さいながらも、これはまさしく神である主の象徴である。円は完全、調和の象徴でもあろう。円のうちに神と人類のとの新しい輪が出来つつある。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)。この力みなぎる賛美の様子を、整った円の中に浮かび上がる降誕の光景から感じることができるだろう。それは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」(第2朗読 テトス2・11)を写し出している。

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