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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年4月16日  復活の主日  (白)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに…… (ヨハネ20・1より)


空の墓
  フラ・アンジェリコ画
  フィレンツェ サン・マルコ美術館(15世紀)



 「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに……」(ヨハネ20・1)という印象的な書き出しとともに、この復活の主日・日中のミサ共通の福音朗読箇所となっているヨハネ福音書は、マクダラのマリアが墓から石が取りのけてあるのを見たと述べる。彼女は、シモン・ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行く。こうして、復活のあかしが広まっていく。
 週の初めの日、朝早くに、墓を訪ねた女性に言及するのは四福音書とも共通だが、女性たちの数やそこに現れる天使の数も違う。マタイ福音書では、「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座った」(マタイ28・1−2)とある。マルコ福音書では、「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」(マルコ16・1)の名が言及され、現れるのは「白い長い衣を着た若者」(16・5)である。ルカ福音書では、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たち」(ルカ23・55)が墓に行ったように述べられ、あとで「それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」(ルカ24・10)とも述べられている。また、ルカでは現れるのが「輝く衣を来た二人の人」(24・4)である。そして、ヨハネ福音書では、上述のようにマグダラのマリアのみ。このマグダラのマリアについては、ヨハネ20章11−18節で、彼女が泣きながら墓の中を見ると「白い衣を着た二人の天使が見えた」(ヨハネ20・12)とある。マグダラのマリアだけがどの箇所にも共通に登場していることはまず注目すべきことである。
 さて、フラ・アンジェリコ作によるこの表紙絵は、上述の四つの福音書の叙述を踏まえて構成されている。墓は大理石の棺のように描かれ、蓋がないところに墓から石が取りのけてあったという叙述との対応が見られる。その中を覗き込んでいる女性はマグダラのマリアと考えてよいだろう。ほかにも女性が多く描かれているところはルカ福音書の反映と思われる。天使の描き方はマタイに基づいていよう。
 空の墓を訪ねる女性たちに天使が現れている光景を描くだけで、キリスト教初期の美術は、イエスの復活の図として描いてきていた。中世になると、勝利の旗印を掲げる、復活したイエス自身を描き、墓(棺)から立ち上がる姿を描く型も登場する。この絵の場合は、その両方の流れが合わさっている。復活したイエスが直接、墓(棺)から出てくるところを描くものではないが、天使の告げを受けたマグダラのマリアの上に、いわば超越的存在として復活したイエスが描かれるという工夫である。
 復活したイエスは、栄光の光背を背に、衣も白い。すべてが永遠のいのちの輝きに包まれている。右手に持っている緑の葉は、エルサレム入城の際のしゅろの葉、すなわち、受難に赴く主を歓呼をもって迎えるときの葉を連想させる。緑色の鮮やかさは、まさしく、これが永遠のいのちの始まり、すべての人の復活の始まりを告げるものであることを印象づける。この緑と対照的なのは、イエスの頭の光輪の十字の赤、そして左に携える杖の先の旗に描かれる十字の赤である。このイエスの持ち物の中に、すでに、受難死から復活へという過越の神秘が集約されている。ただし、この移行は同じ平面の上のものではなく、死者が地上において蘇生されたのとは違う。マグダラのマリアの視線が墓の底の真下に向かっているのに対して、空中にぽっかりと復活のイエスが現れているような描き方は、死と復活の次元の違いをも表現していよう。地上の色彩世界に対し、天使やイエスの姿の「白」さは、神から来るあり方を示しているかのようである。
 ちなみに、この絵の中の「白」も「赤」も「緑」も現在の典礼暦年の彩りを示す典礼色として活かされている。マクダラのマリアのすぐ後ろにいる女性の衣の「紫」も含めれば、基本の四色がすべて揃う。これら女性たち一人ひとりの表情に見える、イエスの死と復活の神秘を前にしたいわば“心模様”も興味が尽きない。

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