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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年11月12日  年間第32主日 A年 (緑)
キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し(1テサロニケ4・16より)


死者たちの復活  
七宝細工 
オーストリア クロスターノイブルク修道院 12世紀


 表紙作品は、もともとは、中世の彫刻家、金工家、エマイユ製作家として名高いニコラ・ド・ヴェルダン(12-13 世紀活躍)がウィーン近郊クロスターノイブルク修道院の祭壇及び説教壇を飾る新旧約聖書51枚のエマイユ(七宝細工)画として1181年に完成させたものである。1330年に火災にあい二翼式祭壇に改造されたあと、付け加えられたものも含めて現在に至る。三つの段で構成されていて、族長の歴史を中心とする「律法以前」とそれに続く「律法下」、キリストの生涯を中心とする「恩寵下」の時代となり、いずれにしても、当時の聖書の画像的読解の例として注目される。
 表紙作品が描く場面は、新約時代の終わり、黙示録がイメージ豊かに語る終末のときの死者たちの復活の場面にあたる。その内容は、きょうの第2朗読箇所である一テサロニケ書4章13−18節(長い場合。短い場合は13−14節)ともよくつながるので、掲げてみたものである。死者たちの復活ということばが文字通り下に記されており、(全部は見えないが)それに関連する語が縁にも記されている。
 朗読箇所では「大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと」(一テサロニケ4・16)とあるところが、この絵では、二位の天使のラッパが鳴り響かせているというふうに描かれている。天使のラッパについて直接述べるのは、黙示録の8章〜11章である。全体として終末の接近を知らせるイメージであるところから黙示録全体も、初期の教会のもつ終末観として参照してみたいところである。
 さて、一テサロニケ書のこの箇所のメッセージの中心は、「神は、……イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」(一テサロニケ4・14)にある。
 この表紙作品の中に描かれている6人の死者たちは、いずれも棺のふたが取り除かれているところから、皆天使に向かって、つまりは神に向かって、顔を上げ、手を伸ばしている。天使のラッパを、死の支配からの解放の時として待ち望んでいたことが窺える描写である。
 これらのことがイエス自身の死と復活によって起こった(「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています」(14節)。そのことによって起こる死者たちの復活であるが、それは、「イエスを信じて眠りについた人たち」(14節)の復活、「キリストに結ばれて死んだ人たち」の復活と語られている(16節)。それに続いて地上で生きている人たち(「わたしたち生き残っている者」)が「空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます」(17節)という表現となると、当時の宇宙観が満載の神話的イメージとしか思えないが、むしろ、そうなることの予告、予言がここの眼目なのではないのだろうと思われる。浮かび上がるのは、イエスを信じること、キリストと結ばれることの勧めであり、その人々には、「いつまでも主が共にいる」(17節)ということである。それは、たとえ、死があっても揺らぐことはない。死は眠りにすぎず、「主が来られる日」、そのような人すべては、主と出会い、神の民として完成されるということである。
 イエスを信じ、主が来られる日を待ち望みながら、希望をもって生きる生き方という教えは、福音朗読箇所(マタイ25・1−11)の「十人のおとめのたとえ」と第1朗読箇所(知恵6・12−16)は、神に心を向ける生き方としての知恵、賢さというテーマとも深く響いていくものとなるだろう。
 表紙作品にいる棺の中から飛び出してくるような、ここの6人の描写は、神に心を向けた敬虔な人生をもった人々の姿なのだろうと想像させる。
 ミサの奉献文では、いつもなくなった人のことが祈られる。「洗礼によってキリストの死に結ばれた者」「復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟」(第二奉献文)とキリスト者である故人に対する想起を願うが、それとともに「すべての死者を心に留め」ということばもある。使徒書がいう「イエスを信じる人、キリストと結ばれた人」には、たしかに狭い意味のキリスト教徒だけではない、すべての敬虔な人々を包摂するような響きが確かに感じられてならない。

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