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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年4月28日  復活節第2主日 (神のいつくしみの主日) C年 (白)
信じない者ではなく、信じる者になりなさい(ヨハネ20・27より)

復活したイエスとトマス    
ブロンズ像 1466~83年頃 アンドレア・デル・ヴェロッキオ作
フィレンツェ オルサンミケーレ聖堂

 珍しくルネサンス期のブロンズ像である。作者アンドレア・デル・ヴェロッキオ(生没年1435頃~1488)はフィレンツェ生まれの金銀細工師、彫刻家、画家。ジュリアーノ・ダ・ヴェロッキオという名の金銀細工師のもとで最初の修業をしたといわれる。1466年から67年頃にフィレンツェのオルサンミケーレ聖堂外部のニッチ(壁のくぼみ)の一つを飾るこのブロンズ像「キリストと聖トマス」が記録に残る彼の最初の作品群の一つであるという(小学館『世界美術大事典』による)。その意味では、美術史的にも記念碑的なものといえる。
 さて、復活節第2主日の福音朗読は毎年このヨハネ20章19-31節である。イエスが復活したその日、すなわち週の初めの日の夕方に、復活したイエスが弟子たちの真ん中に来て立ち、平和を与え、聖霊を授ける。弟子たちの中でトマスだけが疑いを示す。その八日の後、つまり次の週の初めの日にまた、イエスが弟子たちの中に現れ、そしてそのトマスと対話する。経過や言葉の一つひとつが、ミサを通してのキリストと我々の交わりの諸相を暗示し、我々の思いのひだにまで触れてくる。味わい深い箇所である。中でも、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(20・25)と言ったトマスに対するイエスの対応、語りかけが画題となり、一般に「トマスの疑い」ないし「トマスの不信」と呼ばれる。
 きょうの福音に含まれる、トマスを巡る叙述(ヨハネ20・24-29節)の中で、手の釘跡とわき腹の傷跡が具体的なしるしとして挙げられるが、絵は、たいてい脇腹の傷跡に焦点をあてる。そこに向かってトマスがただ覗きこむだけのよう描き方もあれば、手を伸ばしているだけの描き方もある。それに対して、アンドレア・デル・ヴェロッキオのこの彫像は、イエスの脇腹の傷に向かって右手を伸ばしていくところを描きとどめている。イエスのことばである「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」(20・27)に即した描き方といえる。
 意外に思われるが、実際にトマスがそうしたかどうかについて福音書は言及していないのである。「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」と言われたとき、トマスは、即座に「わたしの主、わたしの神よ」(20・28)と言ったとされる展開である。衣のひだまで克明に造形されているこのブロンズ像では、トマスの右手、衣を寄せるイエスの左手、そして、高く掲げられたイエスの右手、それらの描写も細やかである。人物像の描き方としては、15世紀フィレンツェの人物を想像したくなるほど、日本の文化伝統の中にいる我々から見れば西洋人のスタイルともいえるかもしれない。この時代、写実的表現が彫刻や絵画でも盛んになってくると、その時代、その地域の人物描写法が適用されているためか、我々から見ると、イエスの姿も使徒たちの姿もマリアや女性たちの姿も、いかにもヨーロッパ人らしいと感じられてくるようになる。ただ、それをそのままキリスト教のものと考えると、キリスト教=西洋のものというイメージがいつまでも残存することになる。この作品は、イエスとトマスの出会いの出来事を、15世紀フィレンツェで心の中で受けとめ反芻し想像した、いわば一つの黙想の実りだというところに意義があろう。その点も併せて、その時代の精神性や信仰心の姿にも心を向けると、我々自身の時代への目も深まると思われる。
 イエスのこと、その復活を信じられるかどうかわからないでいるトマスは、あえて疑いを表明した後に、イエスから「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」とまでのことばを受ける。即座にトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と告白したとすれば、それはまさしく召命のことばだったことになる。人がいかにして信仰者となっていくか。そのプロセスを先んじて歩んだ者といえる。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)ということばは、彼のあとにイエスと出会うことになるすべての人(我々も含む)へのイエスの祝福であり、招きである。このことばをすべての人のためにもたらすきっかけとなったトマスは、やはり聖人として敬われるにふさわしい(祝日は7月3日「聖トマ使徒」)。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

最初の”出現”の時にトマスは不在だった。彼は、他の弟子たちの話を馬鹿げたものとして信じない。後に「不信仰者のトマス」というあまりありがたくないレッテルを貼られる所以であるが、まともな人間の正常な反応と言うべきであろう。一週間後にイエスは再び現れる。トマスに自分の手を傷跡に差し入れろ、とイエスは言う。イエスの現存のリアリティーはさらに強調されている。注目すべきはトマスの言葉である――「わが主よ、わが神よ」。彼は現れたイエスに、単なる「師」を超える「主」「神」を見たのである。
岩島忠彦 著『イエス・キリストの履歴』「第16章 復活の主との出会い」本文より

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