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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年5月05日  復活節第3主日 C年 (白)
イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された(ヨハネ21・1より)

復活したイエスの顕現   
福音書写本  
スペイン ビック大聖堂博物館 13世紀

 スペインのビックの司教区に伝わる福音書写本の一葉で、頭文字装飾として描かれた絵。写本全体の雰囲気を見るために本文の文字面も含めて掲載している。十字架磔刑図の上に、きょうの福音朗読箇所ヨハネ21章1-19節、短い場合21章1-14節)の前半(短い場合)にあたるヨハネ21章1-14節のティベリアス湖(=ガリラヤ湖)での出来事の絵が置かれていることで、ここには、イエスの死と復活の出来事を一体のものとして示しているといえる。
 ヨハネ21章の話とよく似た不思議な大漁の話はルカ5章4-11節にもある。そこではペトロたちの召命と結びつけられている。イエスのことばに従って網を下ろすとたくさんつれたので、シモン(ペトロ)はイエスの前にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言う(ルカ5・8)。それに対してイエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師となる」(5・10)と告げ、弟子たちはすべてを捨ててイエスに従う。このエピソードは、元々はヨハネ福音書にあるようなイエスの復活伝承に含まれていたものが、ルカでは召命の出来事と結びつけられたと考えられている。
 そのヨハネ福音書、きょうの朗読箇所ではどのように展開されているだろうか。何もとれずにいる弟子たちに対して、イエスは「舟の右側に網を打ちなさい」と言う(ヨハネ21・6)。たしかにこの絵でも舟の右側に下ろされた網にたくさんの魚がかかりかけている。そのような大漁を見て、「イエスの愛しておられた弟子」つまり使徒ヨハネが「主だ」とペトロにいう。するとペトロは湖に飛び込む。この絵の中で、イエスに手を向けている二人の弟子のうち、たぶん、真ん中にいて赤い衣を着て、イエスに向かって両手を掲げているのがペトロ、舟のいちばん後ろで左手を上げて、前にいるペトロに「主だ」とイエスの現れを告げているように思われるのがヨハネと思われる。そうすると、ペトロがなぜ湖に飛び込んだかについての推理をこの絵が含んでいることが見えてくる。福音書には何も記されていないのだが、後ろのヨハネに教えられて、ペトロは岸に立っている人を復活したイエスと悟り、驚嘆のあまり重心を失って湖に飛び込むことになるのではないかという想像である。
 さて、この話は、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5・10)というペトロに対するイエスの召命のことばと結びつけられたことで、復活したイエスの命令に忠実に従う弟子たちによる宣教活動が豊かに実っていくさまを暗示しているものと思われる。ここで、153 匹(ヨハネ21・11)という具体的な数が出てくるが、それは、当時ガリラヤ湖にいる魚の全種類が153 種と考えられていたことに基づくという。つまりすべての種類の魚がとられたということになり、それは、まぎれもなく、すべての人が救われることになる暗示である。イエスの死と復活は、まぎれもなく、すべての人の救いのための出来事であった。下の磔刑図と合わせて、イエスの死と復活から始まる救いの出来事の完成を予告する図となっているのである。この大漁のあと、イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と弟子たちを呼び招く(ヨハネ21・12)。そして「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた」(13節)。この行為には、ミサの主の食卓の典礼(感謝の典礼)を連想させてやまない。
 このあとのヨハネ21章15-19節ではペトロとの密接な対話が示される。それは、ペトロに対する使命の授与だけでなく殉教の予告をも含む感動的な場面となっている。ルカ福音書5章の内容の一つの展開形であり、むしろ、使徒たちに対する真の召命はイエスの死と復活の出来事のうちにあることを示しているともいえる。イエスの死と復活の意味を、第1朗読の使徒言行録はペトロたちの証言として示している。「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」(使徒言行録5・30-31)と、神のみわざとして語る部分である。ミサの信仰宣言を思い起こさせるだろう。そして第2朗読の黙示録の内容はミサにおけるキリスト賛美や栄唱に受け継がれている。こう見ると、きょうの聖書朗読はミサを通じてのキリストの神秘への導き(ミュスタゴギア)そのものである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

『深い河』という小説にも、……福音的に言うと、群れから離れていった一匹の羊の姿が描かれています。遠藤周作という人はこういうところに共感を覚えて、福音を表していこうとするのです。日本からずっと離れたところでたった一人の日本人として暮らし、ヒンズー教徒の死体を火葬して河に流すという役割を担っていった一人の神父、そしてここに登場するインディオの群れのなかで暮らしている元修道士を、一匹のはぐれていった羊として描きます。
星野正道 著『いのちに仕える「私のイエス」』「2 イエスの心にふれる」本文より


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