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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年6月25日 年間第12主日 A年 (緑)  
わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい (マタイ10・16より)

イエスと十二人の弟子たち 
木彫りの祭壇装飾 
バルセロナ カタルーニャ美術館 11世紀

 先週と同様 イエスと弟子たちが一緒にいる光景を描く木製浮き彫り作品である。遠近法とは逆に、いちばん奥にいるはずのイエスがもっとも大きく描かれている。玉座にあって左手に巻物を、右手が祝福のしぐさをしている、イコンでもよく見るキリスト像の構えである。弟子たちもその近くにいる者が大きく、手前にいる弟子たちが小さく描かれている。背もたれのある椅子に座っているという光景も珍しい。真ん中の空間には、パンを入れた器らしきものがある。これは、いずれにしても聖体を暗示する図であろう。聖体によってキリストと結ばれて一つになっている信者共同体の本質を映し出す図と受けとめることができる。
 きょうの福音朗読箇所はマタイ10章26-33節。先週の箇所にある10章1-4 節の十二人の弟子を選ぶところから始まる宣教のための一連の教えの一部である。10章16-25節では迫害が予告され、その中での対処の仕方が教えられていた。きょうの朗読箇所冒頭の「人々を恐れてはならない」(26節)はこの迫害予告の話にすぐ続く呼びかけである。この「恐れてはならない」や「恐れるな」(28節)というメッセージに対応しているのが、第1朗読箇所のエレミヤ書20章10-13節である。その中心的なメッセージ「主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます」(エレミヤ20・11)が、マタイ独特の「インマヌエル」=「神は我々と共におられる」(マタイ1・23参照)のメッセージとまさしく響き合っている。
 福音朗読箇所の「恐れてはならない」に続くメッセージはやや謎めいている。「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」(26節)、そして「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」(27節)である。ここで、「覆われているもの」「隠されているもの」「暗闇で……言うこと」「耳打ちされたこと」という表現は、いずれも秘密に関係している。そしてここで想起されるのは、マタイ13章で語られる「種を蒔く人」のたとえの説明で言われている「天の国の秘密」(マタイ13・11)である。弟子には知らされているが、群衆にはたとえで語る理由である。しかし、その秘密は究極的にはイエスの死と復活を経験した人々には完全に明らかになる。その次第をパウロが使徒としての使命の自覚を込めて語っているのがローマ書の終わりにある。「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました」(ローマ16・25-26)というところである。「覆われているもの/隠されているもの」は神の救いの計画、その実現である神の国、そしてイエスが救い主である、というキリスト教の信仰の神秘すべてを予告する。それは、第2朗読箇所のローマ書5章12-15節の主題であるアダムによる罪とキリストの恵みの対比が、まさしく「世々にわたって隠されていた、秘められた計画」の要約であることとも関連する。
 ところで、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」(マタイ10・26)は神の意志を告げる表現である。神の秘められた計画が今や現されているもの神の意志、その現れされていく過程、告げ知らされていく過程に参加しそれを担うのがキリストの弟子たち、使徒、キリスト者である。それは、人為のことではないために「恐れるな」といわれるところの使命になる。その使命が神の意志であること、キリストの意志であることは、やがてマタイ福音書の最後で、復活したイエスの宣教への派遣命令として明記される。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(エレミヤ28・18-20)。「主は、恐るべき戦士として、わたしと共にいます」(同10・11)というエレミヤの預言にも直結する。
 このように、きょうの三つの聖書朗読は見事に関連し合っている。これらのことばをすべて心に納めて思いめぐらしつつ、表紙作品を見つめると、聖体の秘跡の意味がそこに見えてくる。我々の体験する感謝の祭儀の集い、そこで与えられる聖体の秘跡は、まさしく、このイエスと弟子たちの集いの延長にあり、それを現実化するものである。その中で、聖体の秘跡には、いつも「恐れるな」というメッセージが載っている。イエスの宣教のための派遣命令は、いつもミサの派遣の中で繰り返されている。「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」は、「恐れるな」というメッセージをいつも響かせている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「年間第12主日」

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