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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年9月10日 年間第23主日 A年 (緑)  
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる(マタイ18・20より)

聖霊降臨
交唱聖歌集挿絵
オーストリア ザルツブルク修道院付属図書館 12世紀後半

 きょうの福音朗読箇所はマタイ18章15-20節。新共同訳では、「兄弟の忠告」として全体に見出しがついている部分である。とくに、聖霊への言及もなく、また聖霊降臨の出来事が述べられているわけでもない。きょうの表紙に聖霊降臨の絵が掲げられているのは、キャプションに掲げた「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18・20)ということばにヒントを得て、このことを黙想の中で展開して考えていくためである。
 聖霊降臨の図としては、一つの典型である。聖霊を示す鳩が中央上部に大きくはっきりと描かれ、そこから「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」、弟子たち一人ひとりの頭の上にその赤い炎がとどまっている。ここから、教会の宣教が始まる。地上にいる弟子たちの光景の中には、マリアもいるが、構図はペトロを中心にしている。ペトロは、右手のしぐさや左手で書物(神のことばの象徴)を抱えているところなどは、玉座のキリストを描くものと似ており、その役割と使命が強調されている。
 さて、この絵を見て、使徒たちの頭の上の空間を満たす金色がかなり目を引く。奥行きをも感じさせる。そこは、神の栄光、神の聖性が満ちあふれる空間である。これを、きょうの福音朗読の一つのテーマである「わたしが共にいる」の表現として受けとめてみたい。
 実際、マタイ福音書では、1章23節がその明示であった。預言を成就する御子の誕生の予告で「その名はインマヌエルと呼ばれる」と告げられ、この名が「神は我々と共におられる」の意味であると福音記者自身に説明されている。そして、復活後の弟子たちの派遣では、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と、イエスは告げる。自らが、神が我々(人類)と共におられることのあかしであるとすれば、今度は、そのイエスが、地上の人間として弟子たちとともに生きた後、復活後も「あなたがたと共にいる」方となっている。マタイ福音書には、主イエスの昇天も聖霊降臨も述べられてはいないが、地上から天上へと場を変えたイエスの「共にいる」あり方は、まさに聖霊を思わせることになる。
 使徒言行録の語る聖霊降臨がもたらしたもの、またヨハネ福音書が述べる真理の霊を与える約束(ヨハネ14・15-31参照)、そして、「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20・22)ということばを告げて弟子たちに息を吹きかけた聖霊の授与の行為がここで参照される。とくにヨハネ20章の聖霊の授与の行為に際しては、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないままに残る」(ヨハネ20・23)と告げる。このことばは、きょうの福音朗読箇所における教え「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18・18)に対する最良の解説になる。「つなぐ-解く」という表現は、罪の赦しに関係している教えである。
 そのように見ると、きょうの福音朗読箇所の前半の兄弟が罪を犯したときの忠告のテーマと、そして、きょうの朗読箇所の次の箇所(来週の福音朗読箇所)であるマタイ18章21-35節の「仲間を赦さない家来」の譬えが結びついてくる。罪の赦しというテーマと、主イエスが弟子たちと共にいるというテーマの背後で、実に聖霊がそれらに共通の、より深いテーマとなっている。神が我ら人間と共におられ、主イエスが弟子たちと共におられるそのあり方、そこに生きるいのちはまさに聖霊である。
 きょうの三つの聖書朗読が示す、罪を犯した兄弟に忠告することの教え(福音朗読)、悪人に警告をすることの教え(第一朗読 エゼキエル33・7-9)、互いに愛し合うことの教え(第二朗読 ローマ13・8-10)、すべての背景に、神が共にいることの教え、ひいては、聖霊についての教えが根底に流れている。それは、我々が日々「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。……わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と祈る主の祈り(マタイ6・9-13参照)とつながっていることはいうまでもない。その祈りを教えた後でイエスが語ることばも、きょうの「つなぐ-解く」の教えを深く説き明かすものである。「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」(マタイ6・14-15)。これら互いに参照し合える箇所のことばを一つに結び合わせること、それ自体が黙想となっていく。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「年間第23主日」

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