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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年11月12日 年間第32主日 A年 (緑)  
神はイエスを信じて眠りについて人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださる(福音朗読主題句 一テサロニケ4・14より)

陰府に下って人類を引き上げるキリスト
聖遺物箱のエマイユ
フランス セーヌ・エ・マルヌ県 ナントゥイユ教会宝物庫 13世紀

 表紙絵は、きょうの第二朗読箇所である、一テサロニケ書4章13-16節にちなんでいる。その18節「神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し」とあるところなどがこの表象の典拠の一つとなっている。
 他の典拠として重要なのは、一コリント書15章20-22節で、そこでは「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」とパウロは語っている。この理解から、陰府(よみ)でキリストに引き上げられる人類の代表として、アダムとエバを描くという伝統もある。イコンには、人類、すべての人の象徴としてアダムとエバ、そして、その時代の人々を合わせて、死の支配下にある人類を表現し、イエスがアダムの手を握り、引き上げる光景を描くものが多く見られる。表紙絵に掲げられている聖遺物箱のエマイユ装飾の図像では、イエスに腕をつかまれ引き上げられている、手前の男の背後に二人に男の顔も見えるので、必ずしも、アダムとエバという想定ではなさそうである。アダムをはじめとする人類というイメージなのだろう。
 興味深いのは、それらの人間たちの下と背後に悪魔が描かれていることである。下にいる悪魔が人間たちの脚を引き下ろそうとしている。このような陰府にいる悪魔について言及する新約聖書の箇所もある。イエスの死の意味について語るヘブライ書2章14-15節である。「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」とある。イエスの死と復活の意味は、人類に対する死の支配からの解放という意味があることを具象的に示す陰府降下という考えの中で、このように死の支配を悪魔の図像化によって表現する作品例である。
 この作品の場合、イエスの内衣の色と悪魔の体の色が同じように緑色であることが、黙想の刺激になりそうである。神の御子の意味合いと悪魔の意味合いは、命に対する力関係では対応するところがあるのかもしれない。緑は一般に生命を象徴する色としてキリスト教図像では使われることが多いからである。神の御子は永遠の命をもたらす方、悪魔は命の滅び、すなわち死をもたらすものの象徴である。しかし、ここでのイエスは青い外衣をまとっている。そして、左手には、同じ青で描かれる十字架の杖が携えられている。頭の光輪も同じ青である。ここでは、明らかにイエスの復活、そして復活が開いた永遠の命がこれらの青の部分で表現されていると受け取ってよいだろう。
 「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています」(一テサロニケ4・14)――このことを我々は、ミサの信仰宣言において、また、奉献文の記念唱の一つにおいても絶えず告げている。「主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られるときまで」――この記念唱が告げる死と復活はイエス自身にのみのことではなく、人類の救いのためであり、すべての人が復活して永遠の命に至るための自己奉献を意味していることは言うまでもない。そのような意味での贖い主であるイエスの姿は、この作品においてもきわめて力強い。男の腕を掴むイエスの手と腕の力強さを、我々とともにいる主の存在の力として感じ取ってみよう。
 そのように主イエス・キリストは、全能の力をもって、再び来られる。そのときのための備えを呼びかけるのがきょうの第一朗読箇所(知恵6・12-16)と福音朗読箇所(マタイ25・1-13)のメッセージである。知恵の書では、神の掟が「知恵」としてイメージされ、これがキリストを前もって示す存在(前表・予型)として語られている。「(知恵は)知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す」(知恵6・12)、「知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える」(同15節)。マタイ福音書は、有名な10人のおとめの譬えにおいて、ここでは、「花婿」(キリストを意味する)の到来を迎える用意として、神の国への回心と備えが呼びかけられている。「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(マタイ25・13)、と。繰り返すが、「主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られるときまで」という記念唱の一つが示すように、神の民の感謝の祭儀(ミサ)は、「その日、その時」に向けて、まさに互いに「目を覚まして」いるための協力と奉仕の営みである。

※「お詫びと訂正」:『聖書と典礼』年間第32主日 A年(2023年11月12日)号

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「年間第32主日」

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