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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年12月25日 主の降誕(日中のミサ) (白)  
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た(ヨハネ1・14より)

主の降誕
象牙浮き彫り 
ケルン シュニュートゲン美術館 1140年頃

 表紙掲載作品は、中世にはしばしば多く見られる象牙浮き彫りである。夜半のミサで見た14世紀の降誕図と比較対照すると、それぞれの要素の描き方の違いを学ぶことができる。マリアがやはり大きく寝床に横たわっている、という点は共通している。構図的に幼子の寝床は上に配置されているが、マリアが幼子に向かって右手を差し出しているのは、礼拝的な意味もあろうが、幼子を示している姿勢にも見える。
 幼子は布に包まれている。これは、初期の重要要素で、人の世界の条件下に生まれたことの表現なのである。その上に、ろばと牛は顔のみを出して覗き込んでいる。リアルな感じはしないので、イザヤの預言(1・3)を典拠にした表象として受けとめやすい。マリアの足もとにいるヨセフは、まさしく「考える人」のような姿勢で真剣にこの出来事の意味を思い巡らしている。幼子の誕生が神の計画による神秘であることを側面から強調する役割をしている。
 この浮き彫り作品の最大の特徴は、降誕の図、幼子とマリアとヨセフのいる空間が、小屋どころではなく、一つの城壁都市として描かれていることである。このような建物を場面の枠組みとして描くのは、写本画にもあったが、ここでは、浮き彫りの特徴を活かして二・五次元的に描かれており、その塔や壁の描き方もかなり細密で、我々の目をとらえる。建物や城壁都市は、このような図では、地上世界を意味する象徴である。そして今、主の栄光に満たされているこの世界には、上から横から天使が姿を表している。また画面の下、城壁の外には、羊飼いと羊たちが描かれている。場面としては、夜半のミサで読まれるルカ2章1-14節に対応している光景である。
 このような表現を、主の降誕・日中のミサの福音朗読箇所であるヨハネ1章1-18節と関連づけてみると、それはまた味わい深い。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1節)――厳かなキリストについての告知であり、深い内省の導きである。そして「言は肉となって、わたしたちの間で宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(14節)という、あかしのことばが告げられる。「肉」ということばは端的でも深い。地上世界、被造物、人間……すべて移ろいやすい存在のすべてを読み込むことのできることばである。
 神の言(ことば)、神の御子がその「肉」となり、わたしたちの間、この地上世界に宿ったのである。浮き彫りの城壁都市が、この「肉」の世界、わたしたちの住む世界をイメージさせる。その「地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(イザヤ52・10=第一朗読箇所イザヤ52・7-10の中のことば)ことが実現した、というのが、降誕の出来事である。
 そのような救いの実現、栄光の現れの証言には、しかし、ヨハネ福音書を見ると、それを受け入れない世の現実も語られている。「暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネ1・5)、「世は言を認めなかった」(1・10)、「民は受け入れなかった」(1・11)という否定的な反応との遭遇をも記している。城壁の中で起こった出来事へのマリア、ヨセフ、天使たち、羊飼いたちの姿は世の反応の始まりでもあった。幼子の生涯が始まってからの顛末は四福音書が証言するとおりであり、その先には十字架、そして復活がある。
 そこまで到達したとき、第二朗読箇所ヘブライ書1章1-6節が告げるように「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」(3節)であることがほんとうに悟られることになる。やはり、この第二朗読でも、「人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」(3節)と、あがないの死から復活・昇天への歩みが告げられている。降誕の祝いの中でも、究極的には、やはり、主の過越が記念されている。そのことを思うとき、この城壁都市は、受難の場所であるエルサレム、そして終末に訪れる新しいエルサレム(黙示録21・9-27)をも思わせるものとなる。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』主の降誕(日中のミサ)

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