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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年12月25日 主の降誕(夜半のミサ) (白)  
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった (福音朗読主題句 ルカ2・11より)

主の降誕
聖母の聖務日課書挿絵
パリ フランス国立図書館 14世紀

 表紙絵は、イエスの降誕の夜の場面を描く聖務日課書の挿絵である。降誕の夜の聖務の本文を掲載する中、その冒頭の頭文字を装飾するところに絵を描くということが、聖務日課書挿絵というものの始まりであったという。ここで、聖務の冒頭句の文字の中に天使が描かれている。主場面の降誕の夜の図では、中世の聖書写本画の伝統的な要素が見える。幼子イエス、マリア、ヨセフ、ろばと牛である。それぞれに、この中世末期における描写スタイルの傾向が見えている。人物それぞれがより立体的というか写実的に表現されつつあるところがそうである。
 マリアが寝床に描かれることもそうだが、そこから上半身を起こして、礼拝姿勢をもって幼子を見つめるという、かなり複雑な姿勢をこの小さなスペースに描き込んでいるのは驚異的である。幼子の描き方も注目される。10-11世紀の写本では、しばしば少年のように、しかも白い衣をまとって描かれることが多かったが、本当に赤ちゃん(とはいっても生まれたばかりというわけではないが)の姿で描かれていくのが14世紀ごろから普通になる。聖母と御子という関係よりも、母親と赤ちゃんの関係が一層、自然な情感をもって描かれるようになるのもこの頃からである。ヨセフが立派な服装をして、あたかもユダヤ教の伝統を体現するかのように描かれているところにも創意が込められているのかもしれない。腕組みをし、顔をしかめ、この出来事(神の御子の誕生)に対して畏れと疑いが入り交じったような表現である。
 飼い葉桶の幼子を、ろばと牛が覗き込むという表現形態は長く伝統となっていた。そのもとは、イザヤ1章3節の「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない」にある。神のイスラエルの民に対する叱責、回心の呼びかけを含んでいるこの預言のことばをもとに、今や地上に生まれた救い主を知る者の代表として牛とろばが描かれるようになった。平面的な絵や浮彫彫刻では、牛もろばも象徴的なしるしとして感じられるが、この絵ではかなり写実的である。
 欄外には上と左右には小さく天使たちが描かれ、下には羊飼いと羊が描かれている。夜半のミサの福音朗読箇所であるルカ2章1-14節、とくに8節から14節を味わうのに好適である。羊飼いたちは「夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)ところ、「主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に畏れた」(9節)。すると天使は「恐れるな」と言って告げる。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(11節)……と。主の栄光によって照らされるこの夜の闇は、挿絵の中で奥深くに描かれている。その深さは計り知れない。今、幼子が与えられているのは、第一朗読箇所(イザヤ9・1-3、5-6)の冒頭「闇の中の歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(1節)のことばの実現であり、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」(5節)ことにほかならない。
 その意味を第二朗読箇所テトス書2章11-14節は別な観点から悟らせてくれる。「キリストがわたしたちのための御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖(あがな)い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清められるためだったのです」(14節)――そう考えると、降誕の夜は、十字架上で自分を献げたイエスが復活に至るまでにくぐったあの夜、復活を待ち、迎える夜とも重なる。徹底して、夜の闇、死の陰を通り抜けていく主イエスの復活に至る過越の夜を降誕の夜は予告しているのである。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)から、ミサの「栄光の賛歌(グロリア)」の賛美が生まれた、この降誕の夜の意味を、わたしたちの信仰生活・教会生活の原点として思い巡らしていこう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』主の降誕(夜半のミサ)

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