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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年1月21日 年間第3主日(神のことばの主日) B年 (緑)  
ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った(ヨナ3・3より)

「ヨナのしるし」
手彩色銅版画
原田陽子(大阪高松教区)

 年間第3主日、この日から、B年の年間主日の聖書朗読としての特色をもつマルコ福音書の準継続朗読が展開される。きょうの箇所は、マルコ福音書1章14-20節。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)と、イエスの福音宣教が始まり、最初の弟子たちの召命がある。このような場面に対して、第一朗読ではヨナ書3章1-5、10節が読まれる。実はヨナ書が主日に読まれるのはここだけである。この機会にヨナ書を知る機会とし、福音との関係を考えてみたい。原田陽子さんの作品は、この配分の意味を考える上で、ヨナのもっとも有名なエピソードを描き出してくれている。
 ヨナ書は、12小預言書の一つに位置づけられているが、実際には、「ヨナという名の預言者についての物語」であるという。ヨナという実在の預言者は紀元前8世紀にいたが(列王記下14・25)、この人物とは関係なく、捕囚後の紀元前5世紀以後に、「ヨナ」という名の預言者を登場させて創作された物語であるという(『新カトリック大事典』所収「ヨナ書」[執筆者=雨宮慧]参照)。捕囚後に、「ヘブライ人」(ヨナ1・9)の間では、異教に対して不寛容になり、偏狭な民族主義的傾向が強まっていたところに、そうした時流への抗議としてこの書が著されたらしい。
 全4章からなるヨナ書は二つの部分に分かれ、前半が1-2章である。悪の都として知られるニネベに裁きを告げるべく預言者としてヨナを派遣しようとした主に、ヨナは従わず逃げようとして船に乗る。すると主は嵐を起こす。その顛末でヨナは海に投げ込まれ、主の命令によって巨大な魚に呑み込まれる。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいたが、主に切々と祈りをささげると、主の命令により魚はヨナを陸地に吐き出すというエピソードである。ある種、童話的な内容展開が人々に親しまれていたらしく、イエス自身も、この三日三晩、魚の腹にいながら吐き出されて助かるところに、ご自分の死と埋葬、そして三日目の復活の前表(予型)があると考えている(マタイ12・40参照)。これを踏まえて、初期キリスト教美術のカタコンベ壁画や石棺彫刻でも、このエピソードが好んで描かれるようになる。原田陽子さんの表紙絵も、まさにこれを描くもので、中央がおそらくニネベの人々だろう。上では嵐の中の船にいるヨナと船乗り、右では海に投げ込まれ、魚に呑み込まれるヨナ、下では三日三晩、魚の腹の中にいるヨナ、左では口から出されるヨナが、伝統的な描写方法を踏まえて、オランス(祈る人)の姿で描かれている。
 ところで、きょうの第一朗読箇所はそのヨナ書後半、3-4章の初めの部分の抜粋にあたる。再度、ニネベに派遣されるヨナの行動とニネベの人々の対応である。ヨナは、ここでは「主の命令どおり」(ヨナ3・3)、派遣に従う。そして「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」(3・4)と告げる。そるとニネベの人々は神を信じ、回心する(3・5参照)。これを見て、神が「思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」(3・10)――このような経緯をもって、回心をする異邦人にとっても、神が「恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方」(4・2)であることがあかしされる。4章ではこの経過に憤慨するヨナと神とのやりとりが語られていくが、その物語が内容は、ぜひ一読して味わってほしい。
 四旬節の朗読としては、ヨナ書3章は、「40日」の象徴をもって、現代の我々に回心を呼びかけ、神の慈しみと憐れみへの信頼を呼びかける意味を持ち、イエスの「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)というメッセージの意義をより深く受けとめさせてくれる。実際、ニネベの人々の回心は「ヨナのしるし」としてイエスによっても回心の前例として言及される(マタイ12・41;ルカ11・29-30,32参照)。ニネベという都市に現代世界を、ヨナのうちに神のみ旨と苦闘する信者自身を重ね合わせると、世界と教会の現状がさまざまに浮かび上がってくるのではないだろうか。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』年間第3主日

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