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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年3月31日 復活の主日 (白)  
「主が墓から取り去られました」 (ヨハネ20・2より)

空の墓の上で復活を告げる天使
リンブルクの朗読福音書
ドイツ ケルン大司教座聖堂 11世紀

 11世紀の朗読福音書挿絵で、イエスの墓を訪れた二人の女性に、天使がその復活を告げている場面である。その事柄を挿絵空間の構図の中でクローズアップしているもので、その関係で、棺の形で形象化されているイエスの墓は斜めに配置されている。その蓋が開き、中にはイエスの遺体はなく、それを包んでいた布が置かれたままになっている。この描き方に近いのはマタイ福音書28章の叙述であると考えられる。それは次のような記述から始まる。「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである」(28・1-2)。その天使は女性たちに言う。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」(28・5-6)。絵の中の天使は、まさしくこのような描写を念頭にし、そのメッセージを表現していると考えることができる。
 このスペースの(向かって)右側に描かれる天使の姿は、その翼が羽ばたいているようにみえるし、左手から流れる衣の長い裾も軽やかに舞っている。天使自身も腰掛けているようでもあり、その脚は、前後に動いているようでもある。天使が天から降り、二人の女性に近づいて来ているというダイナミックな動きが感じられる。それは、「復活なさったのだ」という出来事とそれを知らせるメッセージの力強さの表現でもあろう。
 他の福音書では、女性の数がさまざまである。マルコでは「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」(マルコ16・1)と三人、ルカでは「婦人たち」(ルカ23・56)が墓に行ったことをまず述べ、あとで、彼女たちは「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった」(24・10)ともっと多いことが記されている。マタイは上述の二人、どこでも先頭にマグダラのマリアが言及され、さらにヨハネでは「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」(ヨハネ20・1)と、マグダラのマリアが単独で行ったと述べる。マグダラのマリアの重要性が示される。この絵の中でも二人のうち前にいるのが彼女であろう。
 天使の表情、女性たちの表情も、驚きとか、喜びとかの強いニュアンスは加えられていない。天使の目、女性たちの目のはっきりとした描写が「復活」という事実の厳粛さをさりげなく感じさせる程度である。この静かな出来事とメッセージは、しかし、やがて、歴史を一変させることになる。そのような神の妙なるみわざであることは、背景の濃淡を含む金色の描写が雄弁に物語っている。ここには、輝かしい神の栄光の現れがある。その感動と喜びを、この日のミサの祈り全体とともに味わいたい。とくに歌、たとえばこの日の答唱詩編の三連目「家造りの捨てた石が、隅の親石となった。これは神のわざ、人の目には不思議なこと」(詩編118・22-23参照)、そして「復活の続唱」の「マリアよ、わたしたちに告げよ。あなたが道で見たことを。開かれたキリストの墓、よみがえられた主の栄光。あかしする神の使いと残された主の衣服を。わたしの希望、キリストは復活し、ガリレアに行き、待っておられる。ともにたたえ、告げ知らせよう。主キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、いつくしみをわたしたちに。アーメン、アレルヤ」(『典礼聖歌』351)。
 ちなみに、この出来事は「週の初めの日」のことであった。この日は教会で「主日」と呼ばれるようになる日曜日のことである。日曜日は毎週の復活祭、毎週の復活の主日であり、その中で一年の頂点をなすのが、きょうの復活の主日である。この絵のイメージとともに、きょうの答唱詩編の答唱句を心に刻んでいこう――「きょうこそ、神が造られた日、喜び歌え、この日をともに」(『典礼聖歌』87、詩編118・24参照)。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』復活の主日

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