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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年4月28日 復活節第5主日 B年 (白)  
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である (ヨハネ15・5より)

ぶどうの木と鳩
モザイク
ラヴェンナ サン・ヴィターレ教会 6世紀

 水の満たされた器からぶどうの木が伸び、その実りも見える。白い鳩もこの空間に三羽描かれている。背景図の一部分のようだが、キリスト教の典型的な象徴が盛り込まれている。きょうの福音朗読箇所ヨハネ15章1-8節では、イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(5節)と告げる。図の中の枝は確かに豊かに実を結んでいる。それは、「人がわたしたにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5節)と言われていることから、キリストとつながりを保ち続け、信仰の実りを得た信者たちを表していることになろう。ぶどうの木が水の中から伸びている様子は明らかに、洗礼の水との関連を想像させる。水は新しい永遠のいのちの象徴となっている。この意味合いを白い鳩が強める。言うまでもなく聖霊の象徴である。全体として、聖霊に満たされ、新しい水から生まれてキリストと結ばれ続けている信仰者たちの姿が凝縮された図と言えよう。
 このヨハネ福音書の本文について、ギリシア語原文を参照すると、4~7節にたびたび出てくる「つながっている」という動詞と、朗読箇所のあとに続く9-10節で、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」と書かれている中の「とどまる」は同じ動詞である。キリストにつながっているということは、キリストの愛にとどまることだ、と教えられているのである(きょうの第二朗読であるヨハネの手紙〈一ヨハネ3章18-24節、とくに24節〉参照)。このモザイクは、キリストにつながり、その愛のうちに生き続けることの豊かさを表現する図ということになるだろう。
 キリストと、キリストを信じる人々との関係を「ぶどうの木」の表象で語る教え方には、旧約の背景がある。「ぶどうの木」という表象は「ぶどうの園」という表象と並んで、神の民を意味するものとして預言や詩編を通じてたびたび告げられているのである。しかも、預言の中では、神の民の信仰を鋭く問い直す文脈の中で出てくる。たとえば、ホセア書10章1-2節「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい。実を結ぶにつれて、祭壇を増し、国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き、聖なる柱を倒される」――民の不信仰の増長がぶどうの木の繁茂にたとえられている。エレミヤ書8章13節「わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは、彼らから失われていた」――信仰の実を結ばないぶどうの木として神の民のあり方に鋭く、主のことばが差し向けられている。エゼキエル書17章8-9節「このぶどうの木は、枝を伸ばし、実を結ぶ立派なぶどうの木となるように。水の豊かなよい地に植えられていた。……このぶどうの木は成長するだろうか」――民の信仰の動揺を危ぶむ主のことばであろう。
 他方、ゼカリヤ書8章11-12節「しかし、今、わたしはこの民の残りの者に対して、以前のようではない、と万軍の主は言われる。平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。わたしは、この民の残りの者に、これらすべてのものを受け継がせる」――神に従う「残りの者」には平和と信仰の実りが約束されるとの預言もある。
 このような「ぶどうの木」である神の民自身の願いが詩編の中でも表現される。詩編80の9,13,15節では「あなたはぶどうの木をエジプトから移し、多くの民を追い出して、これを植えられました。……なぜ、あなたはその石垣を破られたのですか……万軍の神よ、立ち帰ってください。天から目を注いで御覧ください」との嘆願、詩編128の1-4節では「いかに幸いなことか。主を畏れ、主の道に歩む人よ。……妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。見よ、主を畏れるひとみこのように祝福される」(4節)と、力強い信仰の呼びかけがなされる。
 このように、ぶどうの木は、神への信仰に生き、豊かな実を結ぶことが求められている神の民の表象であったが、そのあり方を真に実現するのはキリストの到来である。キリスト自身がぶどうの木となって、それに人が枝としてつながっているところに、待ち望まれていた神の民、新しい神の民が生まれる。もちろん、それは「わたしにつながっていなさい」(ヨハネ10・4)という主のことばに応え続けることによってなされるものである。ぶどうの木につながる枝はたえず、実りに向かう成長の過程にある。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』復活節第5主日

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