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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年7月17日  年間第16主日 C年 (緑)
お客様、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないでください (第一朗読主題句 創世記18・3より)


三人の客をもてなすアブラハムとサラ
  イコン
  アテネ ベナキ美術館 14-15 世紀

   

 この日の第一朗読で読まれる創世記18・1-9 にちなんだ絵として生まれたイコンである。三人の人として現れた主なる神をアブラハムとサラが料理をもってもてなす場面である。三人の人は、はっきりと天使として背に翼を有する姿で描かれている。この三天使に加えて、アブラハムとサラが描かれる作例の中では、三天使が食卓についているその手前の側に二人が描かれる例もあるが、このイコンの場合は、三天使の間にアブラハムとサラが配置され、横長の食卓を囲む5者の存在がバランスよく落ち着いて見える。また、三天使の衣の赤と二人の衣の黒、翼や背景の金色と地面の緑色との対照が豊かな色彩世界を醸し出している。祝宴の喜びさえ感じられる。
 やがて「三人の人」として現れた神は、三位一体の象徴と考えられるようになると、創世記の場面の個々の要素、アブラハム自身、そしてたくさんの食べ物なども消え、食卓を囲む三人の天使の姿が中心となり、その名も「聖三位一体」のイコンとなっていく。食卓の上に聖体を暗示する一つの品が置かれていくだけのようにもなる。そのような発展は一つの究極の図であるが、すでにここに観るイコンにも、アブラハムのエピソードと我々の経験するミサや聖体の秘跡の意味合いが関連し合っている姿を観ることもできる。
 この絵とともに、創世記のエピソードに目を留めるなら、アブラハムは、三人の客がなにものであるかを察知しているかのように、「走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください」(創世記18・2−3)。このときの言葉が、朗読の主題句にもなっている。そこに一種の信仰告白を見ているからではないかと思われる。それに加えてアブラハムとサラがかいがいしく仕える様が描かれるのだが、福音朗読のマリアとマルタのエピソード(ルカ10・38−42)と照らし合わせると、アブラハムの態度には、マリアとマルタの対応の両面が含まれているととらえることができる。
 そのようなアブラハムに示される、神に対する信仰の従順と奉仕の働きは、教会生活の中では、神のことばに耳を傾け、信仰を宣言し、そして、一同で奉仕をして主の食卓を整え、祝うミサに脈々と受け継がれているといえる。イエス・キリストをとおして、神が来てくださったという恵みの食卓、その喜びに満ちた奉仕の実りがミサにあるとすれば、このイコンが描くアブラハムとサラの黒子のような姿の中に、神の民である我々の姿を投影することができる。三天使の姿のうちに、その金色の降臨と翼と、赤い衣、向かって左側の天使が抱く杖のうちに、キリストの姿が三面鏡のように照らし出されているとも、また、三位一体の神の姿が暗示されているとも受け取ってよいだろう。
 我々のミサが「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」という応答から始まり、「父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。アーメン」をもって派遣される。ミサ全体が父と子と聖霊の神のいのちによって生かされるものであり、三位のいのちの永遠の交わりのうちに、地上の我々がことばとしるしをもって行う奉仕をとおして参加していく歩みでもある。「世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画」(きょうの第2朗読、コロサイ1・26)のうちに、アブラハムも生かされ、また、イエス・キリストの生涯を介して、現在の神の民の生活も営まれている。そのような長い旅路にイコンとともに思いを馳せてみたい。

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