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コラム

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中村倫明(長崎教区補佐司教)
 この頃(日本カトリック平和旬間八月六日~十五日)になると思い出します。八月十五日は、日本の日めくりでは終戦の日、カトリック教会では聖母被昇天の祭日です。長崎では、この日を「ふくれ饅頭の日」と呼び、ふっくらした饅頭を私の家でも作りお祝いしていました。
 ふくれ饅頭は、小麦粉の生地に小豆あんを包み、十字架の荊冠を思わせるカカラ(サルトリイバラ)の葉に載せ蒸し上げたものです。伝えによりますと、潜伏時代のキリシタンが、ご聖体のことを思いながら作っていた名残だそうです。長崎の信徒は、ふくれ饅頭を食べながら、戦争が終わったことや、何よりもマリアさまが天に上げられて神さまの愛とまことの平和に包まれていくことを、言葉や頭だけではなく、お腹でも味わっていました。
 旧約時代にもそうでした。神さまは、物分かりが悪く頑ななイスラエルの民に天からマナを降らせ(出エジプト16章)、エリヤにはパン菓子を与え神の恵みを腹で教えてくださいました(列王記上19章)。新約時代にだって、幾度も罪を犯し、物分かりの悪い私たちに天からのまことのパンとしてイエスさまをくださり、最後の晩餐の時からは実際のパンとなり、神の愛を腹でわかるようにしてくださいました。イエスさまが、はらわたがちぎれる(ギリシア語でスプランクニゾマイ)ほど愛されたことも納得です。
 なのに愚かな私たちは、今でも腹の足しにもならない爆弾を空から降らせ殺し合っています。今こそ私たちは、空からはパンを降らせ、互いに生きる道を選ぶべきです。フランシスコ教皇がおっしゃるように、核兵器や軍事費のための莫大なお金を、飢えている人や生活困窮者をはじめ人々がともに生きるためのパン代に換えるべきです。
 「棚からぼた餅」では平和は訪れません。「天からのまことのパン」イエスさまをいただきながら、私たち手作りの「ふくれ饅頭」をこそ降らす世界に変えることが必要です。そしてこの私が自分を与えるパンとなっていくことも……。
(『聖書と典礼』2021年8月8日より)

『聖書と典礼』年間第19主日 B年(2021年8月8日)表紙絵解説

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